21世紀の日記 |
|
20世紀の日記 |
|
98年2月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
やっぱ左ハンドルでいちばん苦労するのは、縦列駐車のときですねえ。体をねじる方向が反対になるだけで、ああも感覚が狂うとはおもわなんだ。
右手でシフト操作をするのはむしろ楽でいいのだけど、左手一本でステアリングを切るのがどうもなじめない。とくにワインディングロードでは頻繁に左手一本になるのだけど、安定性は右手一本の方がはるかに上なんで、運転で無理がきかないっす。
4月末に印税が入るんで、5月にはまた一週間ほど旅行しようと思っているのだけど(今度はラ・ロッシェルあたりに)、M田さんの定期渡仏は今年はいつごろになりそうですか?
数年前の調査で、パリ市内を走る自動車の3割が「技術的に問題あり」という結果が出てましたよね。あまりにもポンコツ車が横行するので、controle technique が制度化されたんじゃなかったのかな。
日本でもむかしから車検費用自体は2万円程度でしたよ。それが10万円以上もするように思われているのは、車検と同時に重量税と強制保険料を支払うこと、車検の際に点検整備もセットでやられちゃうこと、が原因ですね。税金は値切れないけど、整備はすべてカットして「車検でひっかかった箇所だけ整備」って注文をつけておけば、だいたい実質2万円程度でした。
60 Millions de Consommateurs のレポートでは、日本車(それもホンダとマツダ)が「最も維持費がかからない車」になってますね。それに続くのが BMW やワーゲンです。でもまあ、ヨーロッパにいるときはヨーロッパ車に乗るのが正解だと思うけど(よって、日本にいるときはやっぱホンダっすよ、ホンダ)。
ガイシャの好きな知人によれば、5年落ちのプジョーが狙い目だそうですぜ。だいたい4万キロぐらいしか乗っていないことが多く、しかもフランス車はドイツ車と違い、年式を経ると急速に値が下がるけれども、5年落ちぐらいなら状態はかなりいい、ということで。
でもやっぱ日本にいるときはホンダにしたい。うちのシビック、今年で13年なのだけど、まだまだガタが来てないので、買い替えるモチベーションがわかない。これじゃ景気がよくならないんですけどねえ(笑)。フランスで「売ります」で出てくる車は、たいてい 5〜8年で20万キロって感じですね。
それにしても、フランスのガソリン料金も日本並みに安くならんかいな。リッター6.5 Frs はつらい。経由がリッター4.9 Frs で、ニッポンの246号線や16号線沿いにあるスタンドのガソリンよりも高いですがな(;_;)。
車の振動は共鳴振動ですから、スピードが速いから揺れるってわけでもないですよね。日本車の場合は、90キロとか110キロあたりでいちばんガタガタくるようになっているようです(車種による違いはあると思う)。ヨーロッパ車だと80キロとか150キロぐらいじゃないのかな。ルノーの Twingo でさえ、130キロ走行でもなんの不審振動は感じられませんでした。
日本車とヨーロッパ車とでは、サスペンションの設定もかなり違いますね。日本車はたしか二度揺れて吸収されるパターンが多いと思ったけど、ヨーロッパ車だと一度で吸収させてますね。だから道路の継ぎ目を通過するときにゴツゴツした感じがするけど、逆に石畳の上を走るときは、そうじゃないと酔ってしまうでしょう。
Eurostar はいろいろな割引が登場して、実質的に往復で 500 Frs前後ですね。正規料金を払わないといけないのは、時間に制約されたビジネスマンぐらいでしょう。ロンパリの往復が一万円つーのは、かなり安いんじゃないかな。
TGV のサスペンションとか剛性は、日本のようなうねうね・ガタガタの路線上は走れないみたいっすよ。やっぱあれは大陸の荒野をかっ飛ぶための車輌なんでしょう。
その TGV も、まだ在来線を走っていた10年前ぐらいは、平均速度は遅いし横揺れも激しいしで、ぜんぜんいいところがなかったですね。だけど専用線になってからは、格段に快適かつ高速になりましたねー。まあ、それでもヨーロッパで一番快適な鉄道はドイツの ICEだと思うけど。
日本もオリンピックを夏冬あと5回ずつぐらいやれば、一般道も完全に整備されるかもしれませんね。
ヨーロッパは本当に車での移動が楽ですからねえ(スイスを除く)。日本国内では過去に一日千キロ超という運転は2回しか経験がないけど、あれは辛かった。その点、フランスやドイツだと、なんかもう一気という感じですね。とくにドイツだと一時間で確実に150キロ移動できるし。
ヨーロッパの地方の道だと、信号のかわりにロータリーがけっこう多いですよね。制限速度も日本の自動車専用道路並みだから、みんなが車で移動するのも当然って気がしますわな。それ以上に鉄道の移動も快適だけど。
話は飛びますが、さきほどまで France 3 で長野五輪の閉会式を見ていたのだけど、サマランチ会長が最初にフランス語でスピーチを始めたとき、アナウンサーが「やったね!」といった感じでした。
昨夏に180キロキープで走った南ドイツのアウトバーンは、どう考えても常磐自動車道より路面状態は悪かったと思うんですけどね。
3桁国道のかなりは、わりと最近(といっても、ここ20年ほど)になって国道に昇格した道じゃないですか?
善光寺〜白馬間の国道406号線は18年前に国道に昇格したのだけど、ここはもう、谷間のワインディングロードで、こんなんでオリンピック期間中は大丈夫なんかいな、なんて思いました。でもオリンピック道路がまったく別に作られていたのね。
でも一歩市外に出れば果てしない平原が広がるフランスと日本とでは、道路の建設やメンテのコストがダンチだと思いますよ>わーぷらさん。それにフランスだって状態のいい autorouteはたいてい有料だし。
3年前だったか、フランス人の柔道世界チャンピオンが筑波で交通事故にあって死んじゃいましたよね。信号を無視して横断しようとして、車にはねられたのだけど。多少酔っていたらしいのだけど、おそらく横断するときに左から確認したのだと思うんですよ。車が右側通行の国だとそうするのが普通ですから。
ぼくもパリ市内を歩くときは、シャンゼリゼとかモンパルナス通りのような道は別として、たいていは「自主信号」状態なんですが、やっぱ自然と「左から確認」ってクセがついてしまう。だから日本に帰ったときは、これだけは気をつけないとやばいと思ってます。
でもまったく交通量のない道で、しかも広さがせいぜい二車線分ぐらいの横断歩道で、あくまで律儀に赤信号を待っている光景を見ると、つい「パブロフの犬」って言葉を連想してしまう。
わがアパートの面するBoulevard de Port Royalは、デモの定番コースになっているのだが、今日はかなり大規模な行進だった。それでもドライバーたちは慣れていた様子だが。
野沢温泉ではバイアスロン競技が開催されましたが、じつはこの競技、当初予定では白馬村でおこなわれるハズでした。ノルディック系がすべて白馬村、アルペン高速系は志賀高原岩菅山という予定だったのが、自然保護の立場から岩菅山案が没になり、急きょ白馬八方尾根で開催するということになったのですね。それでバイアスロンが八方から野沢に変更されたそうです。
地元・八方では、ノルディックなら人気競技のジャンプと複合があるし、アルペンをやらなければスキー場はそのままスキーヤーに利用してもらえるので、オリンピック見物客+スキー客の両方が確保できてラッキー……なんて思っていたそうです。それがアルペン競技の開催となって、スキー場の一部が使用できなくなるため、名誉なことではあるけど客足が心配、ということになったのですね。
八方尾根スキー場の規模は日本最大ですが(志賀高原はちょい対象外)、それでもシャモニーの5分の1ぐらいの面積だったんじゃないのかな。まあ、大陸と島の違いなんでしょうが、規模が違うと滑降コースで苦労するのは仕方ないですね。札幌のときは恵庭岳に特例としてオリンピック時のみのコースをつくったけど、いまは自然保護の立場からむずかしい。で、日本の常設コースで国際級のダウンヒルができるのは八方しかないから、ということで、アルペン高速系が八方尾根で開催されることになったようです。
白馬村にはフィンランドやノルウェー、オーストリアの人たちがかなり滞在していたようだけど、フランス人はほとんど見かけませんでしたねー。ゲストハウスを白馬村に置いたのもノルウェー、オーストリアだけだったみたいだし。
そういや2008年夏期オリンピックで北京が立候補を断念したから、大阪開催の可能性が一気に高まりましたね。
残念ながら白馬からは11日夜に戻ってしまいました。
回転のアミエが今季は不調だったので、フランスのアルペン・チームは今回も金無しだと思っていたら、クレティエがやりましたねー。そうです、グルノーブルのキリー以来です。ただ、キリーのあのときの滑降の勝利は、けっこう物議をかもした勝利でもあったんですけど、今回は完全な優勝でしたね。
男子滑降は8日に予定されていて、その日は双眼鏡を持って八方の兎平まで行って来たのだけど、その日は残念ながら順延。ガスが発生するのがもう30分遅ければ、なんとか開催できたんでしょうが。その後、11日に順延されて、なんとか観れるかな、なんて思ったのだけど、再度の順延で結局あかんかった。結局、8日に前走の3人が滑るのを見ただけでした。
滑降コースに使われている八方尾根のチャンピオン・コースは、白馬ではいちばん難しいコースで、あんなところをよくダウンヒル用に使ったな、と思ったもんです。コース最後の部分は、かつてはキロメータランセのコースに使われた急斜面で、三浦雄一郎が当時の世界記録を達成したとこじゃなかったかな。
8日は兎平で雪温マイナス6.5、今日はおなじ場所でマイナス3.5だというから、だいぶ重い雪だったんじゃないでしょうかね。ヘルマン・マイヤーさえも転倒してましたが、コースが荒れて板がひっかかりやすかったんじゃなかろーか。
白馬にいたのは 8〜11日の四日間だったのだけど、とにかく人がいないのにビックリしましたね。11日はジャンプのノーマルヒルがあったために、会場はどえらく混雑していたものの、ゲレンデの方はガラガラ、クワッドに一人乗り状態でした。とくに11日のゲレンデ・コンディションは最高中の最高で、ついつい滑りすぎて膝がガクガクになり、帰りの運転がたいへんでした。
いやしかし、かつて半ば住んでいた場所で開催されるオリンピックというのは、やっぱ感慨深い。それに、連日のコース整備に駆り出された自衛隊員は、本当にご苦労さまといったところです。
シャルティエの研究によれば、フランス革命当時、ポルノ小説は「哲学書」に分類されていたのだそうです。
アップするのを忘れたまま白馬に行ってしまった。
今回泊まったところは、「ヴィラ・れんが亭」というペンション。ここのオーナー・松本夫妻は、以前 Bright Horn というペンションを経営していた。ぼくがバイトしていたのは、松本オーナー時代の Bright Horn だった。
当時、厨房のチーフをやっていたのが飯塚さんという人で、この人には本当に世話になった。飯塚さんのカレーと雑煮はとにかく絶品で、飯塚さんが休みの日、バイトや居候連中は、スキーには行きたいけれど、その日もし飯塚さんがカレーや雑煮を作ったりなんかすると食いそびれてしまうので、けっこうなジレンマがあった。
その飯塚さんが現在経営しているレストランが「パペット・イン」。れんが亭とは渡り廊下でつながっており、れんが亭宿泊客の食事はパペット・インでとるようになっている。オリンピック期間中は、スイスのゲストハウスになっていた。
アルペンのメッカ八方尾根でジャンプ競技というのも、ちょっと違和感を感じないでもない。まあ、昔も雪印の30メーター級の台があって、地元の中学生がときどき飛んではいたけれど。
リーゼン・クワッドのリフト乗り場の下に、じつはジャンプの無料観戦場所があった。立入禁止のロープが張ってあったものの、競技前日からすでに観戦場までのルートができている状態。まあ、「行くな」って方が無理だと思うぞ。
この写真ではわかりづらいだろうけど、画面ほぼ中央が踏切台のところ。この写真は開始セレモニーの場面で、各選手団の旗を持ったスキーヤーが、踏切台直下で待機している場面。
この日はノーマルヒルで、結果はご存じのとおり、船木が銀で原田は五位。じつはトライアルで原田は95.5メートルという大ジャンプをやっている。その次の記録が葛西の92メートルだから、原田の飛距離は群を抜いていたわけだ。そして本番一本目も92.5メートル。さすがに二度も続けて大ジャンプをしちゃったら、三度目、つまり本番二本目に失敗しても仕方ないんじゃないのかな。
ソイニネンが船木を抜いて、期待は原田に集まる。あの声援はすごかった。ジャンプ会場がまるで一つの生き物になったような、そして声が物理的な形を持った「もの」のように感じられた。それにも増してすごかったのが、原田の二本目が不発に終わったときの溜息である。皮肉でもなんでもなく、この「溜息」だけはその場に立ち会った者でなければ感じられない波動だと思う。
学生時代に白馬のペンションでバイトしていたころ、よく冗談で「白馬にオリンピック、来ないかねぇ」なんてバカ話をしていたものだ。いくらなんでも実現するとは思わなかった。
やっぱ思い入れの深いスキー場で、男子ダウンヒルが開催されるというのはうれしい。あいにくと白馬滞在中(8〜11日)は見れずじまいだった。8日は兎平まで行ったものの、一時間待ったあげくに順延、11日は好天だったけど、コース整備が間に合わずに延期。まあ、負け惜しみではないが、11日は最高のスキー日和で、ジャンプ開始までさんざん滑った。この写真は兎平で男子滑降コースを撮影したもの。ヘルマン・マイヤーが大転倒した場所は、写真で見える最上部のところである。
画面手前にいる人影は、コース整備をする自衛隊員たち。彼らの活躍ぶりはすごかったですよ。拍手!
こちらの写真は女子の滑降およびスーパーGのコース。この日はスーパーGが開催されたが、画面をよくよく見ると旗門がわかると思う。
しかしまあ、あのピョンピョン平をカッ飛んでいくなんて、よくやるよって感じである。男子のコースは兎平からパノラマ・ゲレンデに出てチャンピオン・コースの痩せ尾根に抜ける。パノラマは緩斜面で滑りやすいが、チャンピオンは八方でも難コース中の難コース。それを2分足らずで走り抜けるんだから、人間業じゃないっす。
日本でアルペン・スキーのメッカといえば、そりゃもう白馬八方尾根に決まっている(反論却下)。だから、長野オリンピックの誘致が決まったとき、当然、八方はアルペン会場になるものと思っていたので、中心競技がノルディックになると知ったときには驚いた。結局、奥志賀にアルペン施設を造れなくなったので、ノルディックもアルペンも八方で開催されることになったわけではあるが。
でも、八方でジャンプ競技ねえ。名木山ゲレンデのわきに雪印の30メートル級の台があって、地元の小学生が練習に使っている光景を観ていたので、本格的なジャンプ台ができることに、かえって違和感がある。それに八方といえばダウンヒル・コースが売り物なのだから、やっぱりジャンプ台は異物という感じがしてしまう。
しかし、結果的にノルディックやアルペンの主要競技がすべて八方で開催されることになったのだから、スキーに限っていえば「長野オリンピック」というよりも「白馬オリンピック」となったわけで、学生時代にペンションの同僚とかましていた冗談が本当になってしまったわけだ。
モーグル競技が八方で開催されないのがちょっと残念である。コブコブ斜面が売り物の八方尾根こそ、モーグルにはいちばんふさわしいはず。しかし、アルペン・コースを設けたら、モーグルの会場はどこにも取れないのだから仕方ないか。
ちなみに、地元の反応としては、「ジャンプだけなら良かったのに」が代表的らしい。ジャンプ競技だけならスキー場自体はどこも閉鎖せずに利用できるので、ジャンプ競技の見物客とスキー客の両方をキープできる、という腹算用だ。ところがアルペンまで来てしまったので、スキー客は見込めなくなった、ということなのだな。
ところが、実際に仕切られているのは全コースのごく一部にすぎない。今回、八方に滞在中、スキーをする予定はなかったのだけど、ゲレンデがあまりにもすいているので、ついつい滑走してしまった。一応、会場を移動するために道具一式は持参したが、ウェアを持ってきてなかったので、上はセーターにダウンのままという学生のようないでたちである(笑)。