21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

98年8月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1998年8月14日 おばさんの憩の場

 昨日はたまたま『クラブとサロン』という本を読んだのだけど(NTT出版)、ローマ時代のローマのフォーラム、産業革命期のイギリスのコーヒー・ハウス、そして宮廷時代のフランスのサロンの対比がわかって、なかなかおもしろかったです。あの保険組合のロイズがもともとはコーヒーハウスだったというのは初めて知った。
 本のなかに「寝室に集まる人々 〜フランスのサロン文化〜」という章があるのだけど、もともとのルーツは、宮廷での人間関係に疲れたランブィエ侯爵夫人が引退後に自宅で始めた私的な集まりのことだったのね。

1998年8月9日 Un perrier

 ペリエは「Un perrier」ですねえ、たしかに。店のにいちゃんたちも、「Un perrier」と言っているし。
 今日は予報では最高気温が34度っすねえ。いきなり暑くなりおった。こういう暑い日、たしかに perrierがうまい。個人的には citron vert風味を置いてほしいんだが。

1998年8月9日 サーキットの焼きそば

 ベルギーのスパ=フランコルシャン・サーキットではフリットの売店があり、イギリスのシルバーストーン・サーキットではフィッシュ&チップスの売店があった。さて、フランスのマニクール・サーキットは何が名物なのか(笑)。
 最近はどこも焼きソバの売店があるというのだけど、これは鈴鹿が発祥地だそうであります。たしかにシルバーストーンでも焼きソバを売っておった。

1998年8月8日 cafe creme

 ひじょーに厳密に判断すると cafe au lait と cafe creme は違うらしいのだけど、実際にはもうおなじ扱いになっている店が多いですよ。……というか、cafe au lait がなくなって cafe cremeオンリーになった、というべきか。
 実際にギャルソンに cafe au lait と頼んでも、彼がオーダーを中に通すときは「Un creme !」と叫ぶことが多いハズです。で、おなじ店で cafe au lait と cafe creme を頼んでも、まずおなじものが出てくること間違いなし。日本の喫茶店でホットとブレンドを頼んでも、結局はおなじものが……というのと同様なんじゃないっすかね。
 かつて『パリのアメリカ人』でもおなじみの、ギャルソンが高々と容器をかざしてコーヒーとミルクを注ぐ光景なんて、もはや見かけなくなりましたねえ。横浜の喫茶『大学院』は、少なくとも去年まではそういうことをしていたはずだけど(笑)。

1998年8月8日 ピエールの家

 うちも隣がパン屋なのだけど、最近はここを「ピエールの家」と呼んでます。そこの長男のピエールが、うちのムスメとおなじ幼稚園のおなじクラスなんですねえ。
 しかしパリっていうのは、昔の横浜の(東京もそうだったのだろうけど)下町風情が残っていてなかなかよろしい。うちのアパートの一階にある食料品店のおやじは、トイレに行きたいときは顔馴染みをつかまえて店番をさせてしまうのだけど(笑)、最近はうちのカミさんがよくつかまるらしい(笑)。

1998年8月8日 カフェを仕事場に

 最近、午後4〜6時は地元カフェに入り浸って仕事してます。まあ、以前からここのカフェ(っつーかブラスリー)はずっと使っているんだけど、当然ながら完全に顔馴染み。常連客にはマネージャーが握手しに巡回しにするんだよな(笑ホ)。
 ただこのカフェ、過去6年で少なくとも2回はマネージャーが替わったと思う。それにギャルソンだってだいたい三ヶ月ぐらいで入れ替わってしまうしね。折角顔馴染みとなったステファンやナディアたちとも、残り少ない日々となるに違いない(笑)。

1998年8月7日 おじさんカフェ

 車を借りるのにいつも利用する Ada Tolbiac事務所の向かいに、「おじさんカフェ度」ほぼ満点なカフェがあるんですよね。いまのところ看板娘を目撃してはいないが、これは時間帯のせいだと思う(笑)。
 ここのカウンターで初めて grand cremeを頼んだとき、12フランぐらいだろうと思って10フラン玉を二個置いたら、一個をそのまま返され、さらに釣り銭が 2フランあった。
 話は違うけど、最近は cafe au lait ではなく creme とか grand creme って表示をするメニューが増えてますね。でも cafe creme って言い回しを知らないと、「grande cremeの間違いじゃないのか?」なんて一瞬思ってしまいそうだけど。注文のときだって「Un creme」だから、なんか違和感があるったらありますがね。

1998年8月7日 高いカフェ

「観光ぼったくりカフェ」というと例の三つのカフェがすぐに思い浮かぶし、スノッブカフェとかいうと Cherche Midi通りあたりのカフェかいな、なんて気もするんだけど、はて、有閑マダムカフェなんつーと、どのあたりがあるんでしょうね(笑)。
 銀座の風月堂は行ったころがあるけど、シャンゼリゼの風月堂はまだ未経験。
 週に一回は Pyramidまでラーメンを食いに行くのだけど、その帰りによく寄るカフェのメニューには、ついに日本語表示がワープロ印字で加わりましたぜ。以前からあのあたりのカフェでも日本語の手書き入りは結構多かったですけどね。

1998年8月6日 消えたルクセンブルク

 「一つのヨーロッパ」のなかで、あのスイスが臍のように孤立する構図というのが、いかにもスイスらしいって感じがいたしますねえ(笑)。
 ヨーロッパ統合なんて、外敵(日本とアメリカ)に備えるために、内堀(既存の国境)に加えて外堀(EU)もこさえたろうってなもんでしょう。
 しかし先日、ルクセンブルクに行ったのだけど、ベルギーやフランスとの国境に人もいなければ高速の徐行速度も70キロ、国民が話すのはフランス語、ATM から出てくる現金はベルギーフランってな状況を見て、もはやルクセンブルクという国は消滅したと実感しましたぜ(笑)。

1998年8月6日 CVT

 ホンダのシビックが3年前のモデル・チェンジで導入した CVTがそういう状態ですぜ。たしかエコノミー、ノーマル、スポーティの三つのモードがあるだけで、あとはアクセルを踏んでいるだけ。エンジンの回転数はほぼ一定でスピードだけが変化するんだとか(CVT なら当然か(笑))。
 この技術、いまは日産がトップレベルといわれているのだけど、この日産の技術ほしさにベンツ・グループがクライスラーの「次」として狙っているってウワサが絶えませんねえ。もはや公然の事実か(笑)。

1998年8月4日 オートマチック車

 F1マシンのほとんどはすでにセミ・オートマチックだし、93年のレギュレーション変更がなければいまごろはとっくにフル・オートマチック化されていたハズですぜ。実際にベネトンが試作してました。
 モータースポーツの世界でもオートマチックの方がメリットありますがな(ラリーは別)。高斎正さんの名作『日産がルマンで優勝する日』でも、オートマのマシンが勝利してますぜ(笑)。


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おばサロン

正直なところ、企業駐在員とは住む世界が違うような気がしてしまう。金銭感覚が違うのだ。べつに我らが貧乏なのではない。いくら不況で世知辛くなったとはいえ、依然として企業駐在員はさまざまな点で優遇されているのである。
引っ越しにしても、アパートの家賃にしても、かなり手厚い手当が支給されているようだ。駐在員ゆえの手当も加算されているのだろう。となれば、家具だって日本にいるときよりいいものを選べるし、日々の食材も潤沢だ。実のところ、日本とフランスとの平均賃金の差を考えれば、日本の大企業サラリーマンはパリではかなりの高給取りなので、相当贅沢な暮らしができるのである。
わたしのところは家族3人で2DKのアパートに住んでいる。場所は環境のいいところで、大家さんに言わせると、家賃はけっして安くはないそうだ。でも、東京に住んでいたころは、もっと狭いところをもっと高い家賃を支払っていたので、パリのアパートはずいぶんと安いものと感じたくらいである。実際、親子三人、年収500万円もあれば、年に4回旅行をし、そのうちの1回は日本を往復し、日常生活では週に夕食1回、昼食2回は外食する、という暮らしが楽にこなせるのだ。
となれば、駐在員の生活水準は相当高いものとなり、「駐在員の妻たち」の暮らしぶりも羽振りが良くて当然ということになるだろう。