2002年 8月29日 仕事場にて

 久々に仕事場に行く。ずいぶんと長いこと不在にしていた。

2002年 8月8日 亡き友の仏前

 飯田に移動する途中、名古屋に立ち寄って友人と合流後、学生時代に病死した共通の友人・K藤のお宅を訪問し、仏前に線香をあげさせてもらう。この友人が亡くなったのは、20年前の12月だった。ほんの一週間前に、駒場祭の打ち上げで斜め後ろにすわっていた。劇症肝炎のため、ほんとうにあっというまの絶命だった。
 その後、たしか三回忌の年にいちど、やはり共通の友人であるK谷と一緒にK藤の名古屋の実家を訪れたことがあった。ところが、その後、K藤の住所を紛失してしまったため、訪れることができなくなってしまった。ずっと気にはなっていたのだが、学生時代の友人の実家というのは、案外とみな、記録に残すことがないものだ。
 それが、むかしのサークル名簿を倉庫の整理中に発見し、K藤の実家の連絡先がふたたびわかった。さっそくご両親に電話で連絡し、訪問させていただいた次第である。

2002年 8月5日 今日も今日とて

 今日から三泊の予定で京都に滞在。その後は義父母の別荘がある飯田に行き、そのあとは原村に。移動距離は長そうだが、京都を往復するのとおなじだけ。
 この日は貴船で昼食を取る。貴船の川床料理を味わうと夏を実感できる。


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劇症肝炎

この8月、学生時代に病死した友人の実家を十数年ぶりに訪問した。彼の死因は劇症肝炎で、発症から死亡までがわずか一週間だった。肝炎という病気のことを、まったくといっていいほど知らなかったが、ガンや白血病よりもはるかに恐ろしい病気が存在することを、実感せずにはいられなかった。