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97年2月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
かの有名なジョーク「この世の地獄」の天国編では「スイス人の役人」が登場し、地獄編にはたしか「イタリア人の役人」がいたと思います。ちなみに天国編には「イタリア人の愛人」、地獄編には「スイス人の愛人」もいたと思うけど。
ニッポンの役所の対応は、それほど悪くはないような気はしますけどね。だけどつい先日、横浜中央郵便局から SAL便で出した郵便物は、見事にトラブってくれた(-"-;)。三週間かかっても届かないから伝票番号を知らせて確認したら、「番号が登録されてない」だって。こりゃ紛失扱いになるかもしれん。まあ、中身はほとんどが文庫本・新書なんで、買い替えてもたいしたことはないんだけど、引用しようと思っていた部分を再現できるかどうか。
忘れたころの話題だけど、よーやっとワタシは滞在許可が下りました。フランスに再上陸したのが昨年の革命記念日でしたから、「え、なんでいまさら?」とお思いのあなた。自由職業者の滞在許可はケタ違いに面倒くさい。これに比べたら学生の滞在許可申請/更新は、ほんとに簡単明瞭手間暇ゼロみたいなもんです。
まず、自由職業者だと身分の accredite が必要になるんですが、ぼくの場合は journaliste independante という建て前なので、フランス外務省発行のプレスカードが必要になります。これはまあ比較的簡単に取れたのだけど、期間が 1〜12月という固定方式なんで、それが今回の許可申請で障害になりました。
最初に申請に行ったのは 8月26日。この時点では外務省の attestationのみだったので、三ヶ月有効のrecepisse de la demande de titre de sejourが出ただけ。しかし次の更新手続きでは事実上プレスカードを提示すればいいような状況だったので、このときは完全に楽観しておりました。
ただし、初回申請までに Securite Sociale の加入が義務づけられていたので、これがまたあちこち訪れることになり、えらく苦労はしましたが。結局、フランスの著作者保険協会の年金および健保にもぐりこみましたが、いやもう、フランスってなんでこんなに社会保障負担がでかいの(;_;)。
で、11月25日に更新手続きに行ったのだけど、この日は「恐怖の8番窓口」に出くわしてしまい、またしても三ヶ月有効の recepisseが出ただけ。2月25日に再度更新手続きをせにゃあかんかった。このときの付帯条件は「97年のプレスカードを提示のこと」。
Paris Prefecture de Police の8番窓口にいる Controler はじつは4年前にカミさんの許可更新で遭遇したことがある。彼女はどえらく仕事が遅く(所在なげに何度も書類を見る時間が長い)、しかもやたら細かなところを確認してくる。その時も事前に別の窓口で問い合わせOKが出た書類に対し、なんかいちゃもんをつけてくる。あくまで突っ張ったら、上司にお伺いを立てに行って、結局OKになった、ということがありました。
他の申請者との交渉でもそれとなくチェックしたんだけど、要するにガチガチの杓子定規タイプです。でまあ、11月のときも延々一時間半にわたる交渉をしたものの、頑として受け付けんかった。
そして2月。紙一重の差で「恐怖の8番窓口」は逃れられました。わしらの後に来た中国人カップルがここに引っかかり、哀れ彼らはわしらがすべての手続を終えた後も、まだ交渉してました。
いまは申請した当日に許可証が発行されるんですね。まあ、むかしと違ってただのシールになったから、なのだろうけど。1番窓口でわしとおなじぐらい長髪の美人 Controlerがパスポートにシールを貼ってくれておしまい。再上陸から約7ヶ月後、よーやっと visiteur の滞在許可証がおりた。期間開始が来年の 2月25日までなので、これで長野五輪を見てからフランスに戻れる。
で、学生滞在許可証にない特典(?)、それは免許証をフランスのに交換できること。今日、さっそく手続に行って参りました。窓口が混雑していて、しかも管理用のシステムがダウン寸前(実際、わしの手続が完了してからマシンダウンで事務がストップしてた)ではあったけど、いまワタシの手元には、来年で期限が切れる日本の運転免許証のかわりに、期間無制限のEU共通免許があるのだ。むふふふふふ。
さてと、これから確定申告をせねば(;_;)。
96年5月にvisaがおり、同年7月に再渡仏、8月に滞在許可申請に赴き、結局、正式な滞在許可証を得るに至ったのは96年2月のことであった。じつに約半年の所要期間である。その間は「受取証」を滞在許可代わりに使う状態だったのだ。
ただしこれは、若干不幸な偶然が重なった結果でもある。8月の時点では、パスポートの有効期限が少なかったために、あらたなパスポートを取得後に正式な滞在許可の交付ということになった。そして11月の時点で正式な滞在許可をもらえるはずだったのだが、プレスカードの有効期間が1月から12月までの暦年なので、年明けにあらためて97年のプレスカードを持参して滞在許可の更新をおこなうように求められたのである。要するに、プレスカードを条件付けられた人の場合、1〜3月ごろに手続きをしないと不都合が多いということだ。
それにしても、滞在許可申請の手続きは窓口によってずいぶんと運・不運がある。日本に比べて担当者の裁量範囲が大きいということが一因なのだが、担当者の事務処理能力の違いも相当大きい。
(2006.3.12記)