21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

97年7月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1997年7月28日 高速道路の流れ

 速いでしょう、たぶん。
 そのフランスよりもドイツの一般道は流れが速い。いわゆる法定速度では、街中が50キロ、街から出ると90〜120キロだけど、古城街道の一区画は瞬間的に150キロ制限になっておりました。
 でも走っているうちに、「ドイツ人は制限速度を守る」という話しは当然だと思ったぞ。だって制限速度って、ほんとうにその道の限界速度に近い。一般道で制限速度以上を出すのはけっこう命がけかもしれない。ニッポンなら30キロ制限になってもおかしくない狭くて曲がりくねった道でも90キロ制限だったりするし。
 追い越し禁止だってそうだけど、対面交通の道路でも制限100キロだったりするから、対向車との相対速度は200キロってことでしょ?
 1秒間で56メートル距離が縮まるわけだから、相当見晴らしのいいところでないと、追い越しはかけられない。だから交通規則を守るのはイコール命を守る運転をすることでもある。ニッポンとは大違いだよなあ。

1997年7月25日 ガソリン

 フランス車は日本車よりも燃費が悪いし、フランス人はとても燃費運転をしているとは思えないし、走行距離は日本よりも平均してかなり多いし、そのうえ燃料まで高いとなると、車に対する出費も相当でしょうねえ。まあ、高速代が安いから、遠出をしたときのトータル出費は日本よりも多少は安くなるのだろうけど。
 日本にいるとき滞在している場所は、ニッポンでいちばんガソリンの価格競争の激しい R246厚木近辺なので、95年末あたりはリッター80円でした。フラン換算で 4.1Frs/L…… gasoil よりも安かったわけだ。ほんとに某省庁はどんな調査をやらかしていたのやら。gasoil の商品名「Gasole」を単純にガソリンだと思い込んだのだと推測しておりますが。

1997年7月24日 5カ国ドライブ

 ヨーロッパの走行感覚は日本の高速と五割ぐらい違うんじゃないですかねえ。ニッポンの80キロが大陸の 120キロぐらいでしょう。疲労感でいうとニッポンの 200キロが大陸の 400キロぐらいかな。
 あとで調べたら、リヒテンシュタインではドイツマルク、オーストリアシリング、スイスフランが使用可能だそうです。言語はドイツ語優勢なんだろうけど。国の略号が「FL」というのが、ちょっと意表を突かれましたね。
 それにしてもフランスはガソリンが高い。フランスに限らず、まわった五ヶ国でニッポン(というか首都圏の激戦地)より安い国はありませんでしたねえ。ニッポンのガソリンはヨーロッパよりも平均して三割高いという某省庁のレポートは、ぜったいに軽油をガソリンと勘違いしているに違いない。

1997年7月23日 野田岩の鰻丼

 頭がまだアウトバーン状態ですが、パリもようやく安定して20度を越える日々になりましたね。昨日は St.Honore にある野田岩で鰻丼を食ってきました。
 あの鰻はどこ産なんだろう?

1997年 7月15日 ローテンブルグ市庁舎前

 小さな街は小径を歩いているといろいろな発見がある。しゃれた看板のあるレストランがあり、気取ったカフェがある。そして小径から広場を覗く位置は、写真には絶好のビューポイントだ。
 ローテンブルグには2泊したが、二日目はあちこちで制服姿の高校生の姿がやけに目立った。音楽学校でもあるのかと思ったら、やがて市庁舎前広場からコーラスが聞こえてきた。配っていたプログラムを見たら、アメリカからやってきた高校生たちが、ヨーロッパ各地を演奏してまわっているとのこと。一週間後はパリだそうだ。

1997年 7月14日 ローテンブルグ市庁舎前の塔

 このときのドイツ旅行のメインはローテンブルグだった。ハイデルベルグから古城街道を伝わって、ディンケルスビュールなどいくつかの古い街を見たあと、ロマンティック街道に入り、夕方6時ごろに到着した。天気が良ければまだ明るい時間だが、残念ながら冷たい雨。城壁の外にある駐車場に車を停め、まずは宿探しを始めた。
 時間が遅かったこと、天気が悪かったことから、あまり数はチェックできない。二軒目でツイン一泊100マルクというところがあったので、さっさと決めてしまう。まあ、悪いホテルではなかったが、後であちこち歩いてみたら、一泊40マルクぐらいの民宿がけっこう多かった。
 到着翌日はうってかわったピーカン。まあ、こんなものだろう。7月なのだから雨が続くはずはない。抜けるような青空の下、中世の面影を残した街を、すみからすみまで歩き回った。ドイツの街はどこも小さいので、半日もあればだいたい見てまわれる。まあ、急ぐ旅でもないので、城壁にものぼってぐるりと一周もしてみた。

1997年 7月12日 ハイデルベルグのホテルより

 日本からはるばるフランスまで遊びに来た友人と一緒に旅行したのは、フランスの田舎町でもなんでもなく、国境を越えたドイツであった。ADA といういちばん安いレンタカーを借り、友人がパリに着くや、速攻で遠征したのだった。
 ヨーロッパのドライブでは、一日500キロの移動は大楽勝。この日、疲れたらルクセンブルグで泊まる予定だったのだが、ガラガラの高速道路は疲労感ゼロ。一気にハイデルベルグまで行ってしまった。そして飛び込んだホテルは、昔出張で利用したことのある Holenderhof というところ。場所が橋のたもとなのでわかりやすい。幸い、部屋は空いていた。
 以前訪れたとき、忘れられない光景は、早朝のネッカー川の靄だった。あいにくと曇天だったために、神秘的な朝靄は鑑賞できなかったが、ホテルの窓を開けると目の前に写真で撮ったような景色を拝借できた。


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夏はドイツ旅行

フランスで夏のバカンスの定番観光地は南仏だが、我が家では「夏はドイツ」である。なにしろ高速道路がすいている(笑)。パリから南仏方面だとオルレアンとかル・マンを目指すルートにかならず行き着くのだが、夏休みだと渋滞50キロなんてことがある。ニッポンのお盆に中央道で発生する渋滞とおなじなのだ。その点、ベルギーやドイツ方面はガラガラなので、移動がじつに楽なのだ。
すいているからつまらないのかというと、そんなことはまったくない。要するに、ヨーロッパの人たちは夏に太陽光線をさんさんと浴びたいから地中海を目指すのだろう。その点、フランス人にとってベルギーもドイツも、「いつでも行ける」身近な場所にすぎないから、わざわざ夏のバカンス・シーズンに行きたいとまで思わないのだろう。
ドイツ旅行は楽ちんなのである。まず、宿泊施設でハズレがない。日本人以上に潔癖な民族なんだろうね、宿泊施設はどこも清潔だ。そしてフランスと異なり、宿代には朝食代が含まれているのが普通で、おまけにハム、ソーセージなどが食い放題である。フランスだと朝食はシンプルな大陸スタイル(パンとコーヒーだけ)なので、日本人にはドイツ風の朝食のほうがありがたいと思う。
インフォメーションも充実している。ヨーロッパを旅慣れた人は、たいていはホテルの予約を取らず、現地に入ってから気に入った宿を探すのだが、ドイツはどの街でもインフォメーションのホテル案内が親切なのだ。街によっては日本円で200円程度も払えば条件にあったホテルを予約してくれる。
今年、ハイデルベルクで飛び込んだホテルは、じつはサラリーマン時代に出張で泊まったところである。最初はインフォメーションで探すつもりだったのだけど、ダメもとでフロントの係にたずねたら空室があると言われ、料金も思った以上に安かった。昔泊まったときの印象が良かったので、宿泊を即決めた次第である。ネッカー川にかかる橋の手前にあるこのホテル、当分はハイデルベルクの定宿になりそうだ。
車の運転もドイツは快適そのもの。ドイツ人は交通ルールをきちんと守る……のも実は当然で、ドイツの標識は理にかなっているのだな。とくに速度制限。70キロ制限のところは、ほんとうにそれ以上のスピードを出すと危険なのだ。だから、速度制限で走っていれば、まず間違いない。「プラス20キロ」が目安の日本とは大違いである。


ロマンチック街道

街道自体はただの道だけど、標識が笑える。だって、日本語で「ロマンチック街道」と書かれているんだもんな(笑)。その下に小さくドイツ語で表記されてるだけ。この感覚、かつてアンカレッジ空港の待合室に入ったとき、日本語で大きく「アンカレッジへようこそ!」と書かれていた横断幕を見たときとおなじだ。「ここはどこ?」という感じである(笑)。