21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

97年8月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1997年8月31日 ベルギーGP

 いつスタートしたのかがわからなかったベルギーGPであるが、じつはF1史上初のローリングスタートだったんだそうだ。
 ミストラルといえば……ポールリカール・サーキットの名物直線コースである。89年のフランスGPでは、残り三周となったところで、レイトンハウスのイワン・カペリをマクラーレンのアラン・プロストがかわし、そのままゴールインしたのであった。ミストラルを疾駆するプロストはなかなか格好よかったぜ。そのレース、セナは早々にリタイヤだったけど。
 フランスGPも早くポールリカールに戻らないかねえ。プロストのチームもベルサイユに移転しちゃうんだから、マニクールで続けるメリットはもうないのに。

1997年8月17日 セロリ

 うちのムスメも野菜はなんでも食べちゃいますねえ。父親が嫌いなセロリまで。とくに先々月、在イギリスの友人に教えてもらったセロリの漬け物が好物であります。
 フランスでの sondage といえば、今週号の L'EVENEMENT DU JEUDIによれば、フランスでもセックスレス夫婦が急増しているそうであります。浮気との相関関係は出ていなかったけど。

1997年8月14日 牡蠣鍋

 牡蛎鍋を最初にふるまったのはモロッコ人の友人なのだけど、モロッコには、「牡蛎を煮て食う」という諺があるそうだ。意味するところは……「無駄遣い」。
 牡蛎鍋を食ったあと、こやつはコペルニクス的転換を遂げたのであった。

1997年8月12日 受ける和食

 フランス人に絶対受ける和食は牡蛎鍋です。みんな牡蛎を煮て食うという発想がないので、これは意表を突かれるようですよ。ぼくは土鍋も持参しているのですが、何度かやった牡蛎鍋の宴会はえらく好評でしたね。
 あと、ワカメをふんだんに使った海藻サラダ(ドレッシングはもちろん和風)も評判がいいですね。最近は日本にもブルターニュ産の海藻が入っておりますが、フランス人にとって海藻は香水の原料なので、サラダにして食うというのは、やはり意表を突くことのようであります。

1997年8月9日 ペリエがうまい

 ペリエはいけます。これはパリに住み始めて好きになったもののひとつですね。ニッポンにいたときには、「こんなもののどこがうまいんぢゃい」と思いました。
 いまごろの季節、5時頃に行きつけのカフェで本を読む日が多いのだけど、パリだと5時頃が暑さのピークです。べたついた喉に、ペリエがすこぶるうまい。午後五時のまだ高い陽射しをさけながら、これで渇きをいやすと、「ああ、パリに住んでいるなあ」という実感が湧いてきます。
 普段家で飲むときは、ペリエの citron vert風味を味わっております。プレーン、citron vert、orange の三種類があるのですが、爽快感は citron vert が一番という気がいたしますね。

1997年8月7日 巨大ピザの思い出

 やっぱいまだにインパクトがでかいのは、ニースのピザですねえ。あんな座布団サイズ、イタリア人はほんまに前菜として食っているんだろうか。
 信じられないことといえば、いまだに「うげ」となるのは、あの小さなコーヒーに角砂糖を6個入れて飲む年輩の人たちね。
 ニッポン人の寿命が長いのではなく、彼の地の連中が寿命を縮めているとしか思えない。

1997年8月6日 微修正

 ニースでピザぱかり食べたのでパリではスパゲティを食べたわたくし。
 ドイツでソーセージばかり食べたので、コルマールでは豚足を食べたわたくし。
 道中コーヒーばかり飲んでいたので、家ではココアばかり飲んでいるわたくし。
 単なる微修正人生であります。

1997年8月5日 5年前は……

 5年前の6月某日、オデオン座近くの公衆電話からカプラを使って NIFTYに接続したところ、事情をまったく理解できない順番待ちの人たちは、「おまえ、話すことがないのなら、さっさと電話を切らんかい!」という目つきでにらんできました。なにせ当時は 1200bps がせいぜいだったので、ちょっとログを落とすだけでも10分近くかかったのです。
 数分後、こんどは事情を充分に理解できるアメリカ人観光客が、ニヤニヤしながら電話ボックスの外から眺めていました。で、彼は隙間からぼくに名刺を渡してきました(だからアメリカ人だとわかった)。
 その二分後、モデムの電池が切れてあえなく通信終了。当時は 70円/分の Tympas しか利用できなかったので、けっこうな出費だったんですよ。
 携帯電話の加入よりもフランステレコムの加入の方がはるかに簡単ですよ。最寄りの事務所で申し込むだけですから。その日のうちに回線が確保されます。だいいち、フランステレコムに加入しておかないと、フランスの諸手続はなにかと不便です。銀行の口座開設のときだって、電話の請求書が必要になりますしね。まあ、これは EDF/GDF の請求書で代替可能ですが。


Copyright(C) Masayuki ESHITA

初めてのF1観戦

月末にベルギーGPを観戦した。場所はスパ・フランコルシャン・サーキット、勝利したのはフェラーリのシューマッハである。
チケットを入手してくれたのは、在ベルギー日本大使館で客員研究員として研修中の知人である。前日に家族でブリュッセルに宿泊し、レース当日は知人とつるんでリエージュに移動。カミさんと子どもはそこで時間をつぶすことに。わたしは知人の車に乗ってスパに移動した。
チケットはブロンズ・ゾーンのものだが、要するに、土手の好きな場所で見なさいというもの。そうはいっても、広大なサーキットなので、入場したゲートの近くで観戦する場所を探した。結局、monte de l'eau rougeの先にある、ほぼ直線のコースを見下ろす土手に陣取った。コースはわずか30メートルぐらい先である。
天気は快晴だったが、ベルギーGPで雨が降らないとは考えられなかったので、プロスト・プジョー・チームのショップでレース開始前にパラソル兼用の傘を買っておいた。これが結果的に正解だった。
レースはシューマッハの独走となったが、デイモン・ヒルと片山右京のドッグファイトが見物だった。先行する右京がヒルを頑として抜かせなかったため、数周にわたり、テイル・ツー・ノーズの激しいバトルが展開されていたのである。
じつはベルギー行きの前日、すがやみつるさんとパリで夕食をともにした。すがやさんもベルギーGP観戦が目的で、パリで一泊後にベルギーに移動する予定だったのである。ただし、こちらは土手で見物なのに対し、すがやさんはパドック・パスをもらったとのことで、おそらくはメインスタンドで観戦なさっていたはずだ。