21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

97年5月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1997年5月31日 投票前世論調査

 スイスのその世論調査は大統領選挙のときも問題になっとりましたね。
 わしが見た番組では「もし保守が逆転すれば」ということで、セガン下院議長のインタビューをやっとりました。でもジュペも確実にロカールとおなじ道を辿っているなあ、なんて思ってしまう。

1997年5月14日 Place de Tokyo

 大使館で聞いた話では、Palais de Tokyo の一部を改築した結果広場ができたので、そこに Place de Tokyo という地名を付けた、ということです。
 戦前は quai de Tokyo があったのだけど、それがなくなって Palais de Tokyo ができたんだそうです。
 第一号はなんでしょうねえ。20区のrue du Japon はけっこう古いらしいけど。

1997年5月1日 フランスが京都を救った?

 「文化遺産を保護するために」京都がターゲットからはずされたというのは、たしかアメリカのとある科学者が進言したこと、といわれてますね。名前は失念してしまったけど。その人がフランス系かどうかは知りません。
 ただし、数年前にアメリカの公文書館で公開された軍の秘密文書によって、その進言はじつは単に「戦後の国家賠償を京都の文化資産で賄わせるべきである」というものだったことが判明しましたね。それでも軍当局は京都をターゲットにする重要性を説き、たしか8番目ぐらいにリストアップされていたのだと思います。「文化遺産を保護するために京都がターゲットからはずされた」という説そのものが、都市伝説か誰かの思いつきの類ということですね。


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静かな選挙

97年5月はフランスの国民議会選挙の月だった。日本でいえば衆議院の総選挙である。
フランスの選挙活動はいたって静かなもので、選挙活動をやっているのかやっていないのか区別がつかない。街宣車で「○○をよろしく!」とわめきたてるスタイルは皆無だ……というか、どうやらそういう活動は認められていないらしい。
そのかわり、小集会は頻繁におこなわれているようだ。うちのポストにもしじゅう集会の案内が入っている。うちのあたりだと有力候補はパリ13区の区長で法務大臣(この組み合わせもフランス的でおもしろいところ)のジャック・トゥーボンである。
日本的な感覚でいえば、現職有力閣僚のトゥーボンなら楽勝と考えてしまうが、完全小選挙区制のフランスでは、どれほどの大物であろうと常に落選の可能性がある。前回の国民議会選挙では、元首相で大統領の有力候補だったロカールが落選したくらいだ。
選出までの方法がユニークである。投票で過半数を取れば当選だが、そのような候補がいないときは、上位二名による決選投票が二週間後に行われる。だから、有力候補といえども過半数を制しないかぎり安泰ではないのだ。そして政府の支持率が低いときは、政権側の有力候補が野党の新人に敗れることが珍しくないのである。面倒な制度だが、浄化作用は大きいように思う。
(2006.3.12記)