21世紀の日記
20世紀の日記

*この日記について

97年11月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1997年11月29日 空は空き地だらけ

 成田から京成ライナーに乗って日暮里に出ると、なんかもの悲しい気分になりますぜ。ロワシーからパリ市内に入るときとあまりにもギャップがあるから。こと都市の景観ってことに関しては、東京とパリは比較できない差がありますわな。二階程度の建物がひしめきあっている風景と6階建てのアパートが整然と揃っている光景を比べると、東京のどこが土地不足なんぢゃい、とわめきたくなるぜ。京都の瓦屋根の街並みは許せますが。
 二年前の十月、いよいよ巴里を後にするとき、家の前からたそがれをバックにしたモンパルナスタワーを眺め、この光景もひょっとしたらこれで見納めかと思ったら、涙がぶわーっとわいてきましたがな。まあ、これが I shall return.の原動力になったわけだけど(笑)。

1997年11月29日 マネーゲーム

 フローしている金額が中央銀行の手ゴマよりもケタ違いに多いですからねえ。でも、政府の「口先介入」の効果のでかさは、いつぞやの橋龍の失言で実証しているでしょ?
 いまのマネーゲームでは、「動くときが儲けどき」ですよね。だから小鬼たちは政府の本格介入のポイントがどこにあるかを探る動きをするでしょうね。とりあえず来週は 130円をうかがう展開になるだろうけど、まあ、これが第一次防衛ラインといったあたりでしょう。ここで本格介入がないと、次は 135円ぐらいっすかね。
 160円だ240円だって叫んでいる人たちは、二年前には60円だ50円だって言ってた連中じゃないですかね。マクロ状況を考えると、120円台後半は日本経済にとってそれなりに居心地がいいんですよね。だけど130円台に入ると輸入コストがかさむので、マイナス面が出てしまう。円防衛に向かうラインになると思います。それと二月・三月は決算の関係で円需要が発生するし、輸出企業は相当ドルをためこんでるから、130円前後になると大量のドル売り予約が入るんではないか、と。
 ……というわけで、「瞬間的に130円台に入ったあと、ふたたび125円ぐらいで一応落ちつく」という予測をしたい(笑)。
 でもワタシにとっては対欧州通貨の方が関係するんですけどね。今日のドル・フラン相場が 5.9040 だっていうから、いまはフランが21円台?
 5年前の24円にくらべたらマシですね。まあ、一時期は 17円っていう夢のような円高もあったけど。

1997年11月27日 山一証券

 都市銀行と大手証券の倒産はとりあえず打ち止めでしょう。次のターゲットは保険・損保だと思いますよ。日産生命だけじゃすまないでしょうね。
 思うに、大蔵・日銀当局としては、大手から一社スケープゴートを出して、あとは吸収合併やら営業権譲渡で整理を進めるっていうシナリオを描いているんじゃないですかね。ユニバーサルバンク時代になれば、とりたてて特色のない中堅金融機関なんて邪魔なだけですから。ニッチに強いところは残るけど、そうじゃない中堅・中小は一気に系列化されるでしょうね。大手で最終的に生き残れるのは、旧財閥系と三和、一勧、野村ぐらいじゃないっすかね。
 円はそろそろ下げ止まりって気がします。下げ止まりだからこそ、金融当局は「いましかない」って判断が働いているんじゃないのかな。アメリカだって日銀に米国債を放出されたら困りますからね。常識的には円が安いいまこそ、ありあまる米国債を売るには最高のタイミングなんですから。
 France Interでも山一のニュースでもちきりでした。東京特派員はさすがにちゃんと「ヤマイチ」と発音していた。

1997年11月27日 実感するとき

 たしかにセーヌを見るとぼくも巴里を実感しますね。日が暮れたあとなんかは、ついついセーヌ河畔を歩いてみたくなる。
 ただ、「巴里にいる」と一番実感がわくのは、ぼくの場合はモンパルナスタワーを目にするときっすね。日本での滞在から帰り、アパートの前の並木道からたそがれをバックにしたこの建物を見るときが、「ああ、おれは巴里におるんぢゃ」と思います。

1997年11月8日 分割してどーする

 NTT分割論議は CIAの陰謀であると信じているのはワタシです(半分マジ)。だって NTTを分割(=弱体化)していちばんメリットがあるのはアメリカのキャリアですもんね。こっちをさっさと分割しておいて、あちらはいまや大型合併の時代ですから。まあ、80年代半ばであれば分割も「正論」だったかもしれないけどね。もっとも、持ち株会社方式にすればいいんでしょうけどね。

1997年11月7日 フランス・テレコムの新料金

 Communications locales が値下げになると期待していたのだけど、ドル箱の市内通話だからやっぱダメでしたね。月の電話代 1,000 FTTC のうちの大半が市内通話だから、これが下がるとうれしいんですが。まあ、forfait locale を申し込んであるので、ほんの少しは安くなったのだけど。

1997年11月7日 物価の誤解

 国道246沿いの川崎〜厚木間だといまはガソリンが 80円/L ですね。これってパリ市内の経由価格よりもかなり安い。かといってパリが他都市・他のEU諸国よりもバカ高いわけじゃない。要するに彼の地より安いわけだ。ガソリンが高いといわれる長野県内でも97円/L で、これもフランスの国内価格にくらべれば相当安いですね。
 こと物価に関する限りは、マスコミ三原則(オカミは悪い、金持ちは悪い、大企業は悪い)が見事にまかり通っているような気がいたします。電気通信コストにしたって、アメリカ以外に日本よりも明らかなに安いといえる国(シンガポールみたいな規模の国は除外)があるんだろうか?
 半年前に調べたけれど、こと市内通話料金に絞って比較すれば、BT、France Telecom、Deustche Telekom より NTT はだいぶ安いですね。まあ、NTT はたしか市内通話部門は赤字だったと思うけど。

1997年11月6日 聞き取りのほうが難しい

 いやあ、フランスについていきなりネイティブ・スピードを食らったら、相当場慣れしている人でもすぐには聞き取れないと思いますよ。実際にそこまで食い下がった AKAOさんはなかなかスゴイと思います。
 外国語会話なんかでよく「聞き取る方が簡単」という人がいるけど、それは大ウソで、しゃべる方が何倍も簡単ですね。しゃべるのは自分の知っている範囲の単語・自分のスピードでやれるんだから。聞き取りとなると、未知の単語・表現と非常なスピードにさらされますので。


 ペリフェリックは boulevard peripherique という環状線で、制限速度は80キロなんだけど、最近は大気汚染がひどいので60キロ制限になることが多いです。Roissy からだと Paris du Nort か Paris de l'est に向かい、適当な Porte de なんちゃらで降りる、というパターンですね。


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ちょっとびっくり

いつも流しっぱなしにしているFMニュース局FranceInterから、さかんに「ヤマイチ」という固有名詞が発せられた。山一証券のような大手証券会社の破綻は、ヨーロッパでも大きなニュースなのである。
サラリーマン時代に、一時期だが山一証券に取引口座を持っていた。株を売買するつもちはまったくなく、中期国債ファンドを購入するためだった。定期預金よりも利回りが良く、しかも国債投資なのでリスクも低い。当時は人気の金融商品だった。その後、別の投資信託に資金をまわすこともあったが、結局、五年後ぐらいに全資金を回収してしまった。
その時点で山一証券が破綻すると考えた人など(インサイダーを除けば)一人もいなかったろう。本当に何が起きるかわからない時代だ。