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99年3月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
フランスから出ている数学書の代表は、おそらくブルバキの『原論』でしょう。これはもう、少なくとも日本で数学を志す者なら、岩波講座基礎数学と並んで持っていなければいけないシリーズです。元祖タレント数学者の森毅もブルバキ日本語版の翻訳委員だったのでは。
面白いなと思ったのは不等号の表記。日本では中学・高校で教える不等号は、「<」や「>」に「=」を組み合わせたやつです。「=」は「>」などの真下に置くわけですが(Macの文字コードを使えば「≦」)。
ところがフランスのリセなどでは、ブルバキの順序記号を最初から使わせているらしい。つまり、「<」などの下の部分を二重線にするやつです。日本でも大学ではそれを使うことが一般的みたいだけど、リセからとなると、さすがブルバキの地元、なんて思ってしまった(笑)。
話は飛ぶけれども、日産のリストラに乗り込むルノーのゴーン副社長、この人もポリテク出身だそうです。Mineも出ているっていうことだから、トップ6の double diplomeってことか。
居住証明について。
住所には二種類あるんです。一つが adresse permanantで、まあ要するに生活のための家がある住所ですね。こちらの証明には、通常、France Telecom や EDF/GDFの facture、assurence d'habitationの証書、住民税の通知などを使います。
もう一つが adresse fiscale で、これは税務署に行って課税台帳に登録しないと発生しません。これ、滞在許可のカテゴリーによっては登録ができないので、外国人にとってはオプションということですね。学生が家族連れで滞在するときは、滞在許可更新時に「台帳登録ができない」ことの証明書が必要になることもあります。
日本とフランスとは租税条約を締結しているので、adresse fiscale は日本またはフランスのどちらか一方にのみ存在することになります。だからフランスでの居住証明(こちらは adresse permanant)と日本での居住証明(adresse fiscale)とが別々に必要になる、なんてケースが出てくるんですね。
adresse fiscale がどちらにあるかは、1月1日時点でどちらの課税台帳に登録したかによります。日本ではそういう登録制度がありませんので、ごく単純に住民登録しているかどうかで決まります。海外への転出届を出しておけば、自動的に日本での課税申告の対象からははずれます。
たとえば1月1日の時点では日本に住民登録があり、それ以降に渡仏し、なおかつ年内に帰国しちゃったりすると、税務処理上はずっと日本にいたことになるのです。「日本に居住・納税している事が前提の額」というのは、そういうケースを指したことでしょう。
ああ、そろそろ税金の申告しなくちゃ。
ガロアがいた時代の数学の重点領域は、方程式論と楕円関数論、それと非ユークリッド幾何学でしょう。方程式論では、18世紀中にガウスが複素数は代数的に閉じているという定理を学位論文で証明しました。これ、「代数学の基本定理」とか「ガウスの定理」と呼ばれていたのだけど、フランスの数学会から「ダランベールがガウス以前に証明していた」というクレームが付いたらしく、最近は「ガウス=ダランベールの定理」と呼ぶようです。
その後は一般五次方程式の解法に関心が向かい、ご存じの通り、ノルウェーの若き天才数学者アーベルが証明するも、ガウスには論文を見てもらえないわ、審査を依頼したフランスのコーシーに論文を紛失されるわで、結局この業績が陽を見たのは、かなり後になってからのことです。アーベルは後日フランスに旅行した折、コーシーやルジャンドルなどと面談するのだけど、慇懃無礼な対応をされ、以来、フランスへの心証をえらく悪化させたそうです。
アーベルといえば五次方程式が代数的に不可解であることの証明があまりに有名だけど、数学上の実績としては、楕円関数論の方が知られています。とくにフランスのルジャンドルが頓挫していた研究領域をブレークさせたのがアーベルで、この二人の関係、サリエリとモーツァルトに似ているかも。
エルミートの業績は「青銅よりも不朽」とか「後世の数学者は50年は多忙でいられる」とまで称賛されたのですが、その多くは楕円関数論だったと思う。その意味では、ガロアよりもアーベルの仕事に近かったのですね。
で、ある日エルミートは、「一般五次方程式の解法について」という論文を発表しました。その内容は、楕円モジュラー関数によって一般五次方程式が解けるというもので、見方によっては、アーベル、ガロアの業績がここで一つの到達点を見た、という感じです。
ちなみにコーシーといえば、アーベルのみならずガロアの論文まで紛失するという“汚点”があるんだけど、この人、当時はポリテクの主任数学教授で、数学史上でも「最も多産な数学者」として知られています。ただ、フェルマーの定理を二度にわたって証明したと勘違いするなど、チョンボの方が有名なんですよね。熱心なカトリック信者で、数学の議論よりも布教に励んでいたという話もある。エルミートもコーシーの熱烈な勧めによって、カトリック信者になったそうな。
ガロア理論が再発見されたのは、没後30年も経てからで、クロネッカーによるものです。そのあたりの状況を、かの高木貞治は、時代を超越するにも程がある、“ゲッチンゲンの爺さん”は、同時代人には到底理解できそうにないものは、賢明にも公表しなかった、と評したものです。統計で有名なポアソンなど、ガロアの論文をまったく理解できず、「字が汚くて読めない」という理由で却下したくらいですからね。
パリの11月〜2月の天候は、例えていえば「雪の降らない日本海側の冬」の状態です。連日、曇ばっか。晴れ間がまとまって広がるのは、一週間に一度か二度程度なんですね。
ところが、3月のある日を境に、突然天気のいい日が四日以上も続く。最高気温も18度ぐらいまで上がります。街路樹もそのころ一斉に芽吹きが始まる。で、その境の日を春の切り替わりと見なしちゃうわけです。もちろんニュースや予報でそんなことは言わないけど、日常的な会話のなかでは、「Le printemps est arrive !」というフレーズがあちこちで聞かれますから、まあ、そういう感覚は誰にもあると思います。
この激変が、パリで暮らす二番目の楽しみですね。一番目はもちろん夏至当日に行われる fete de la musique ですが。
たしか去年は 3月 8日に春が始まり、その前の年が12日、その前が17日だっけかな。それよりも前になると記憶にない。
ぼくもルイ・ルグランにポリテクが絡むとガロアを連想しちゃいます。受験の口頭試問で対数の定義を聞かれ、それをあえて算術級数と幾何級数の対応関係で説明しようとしたら、試問官からいろいろと揚げ足を取られて腹を立て、最後に黒板拭きを投げつけて「これがぼくの回答だ!」と言い捨てて去る――けっこう嫌なやつだよな(笑)。
エバリスト・ガロア本人の名前が付いた建物や地名は知りませんが、12区にある「ガロア通り(Rue de Gallois)」は、エバリストの父親の名前が由来になっていたと思います。Quai de Bercy に直行する小さな通りですが。
ルイ・ルグラン時代のガロアの恩師リシャールは、ガロアの受験失敗と非業の死が痛恨だったようで、後にエルミートが数学オタクと化しつつあるのを押し止め、一年間、ポリテクの受験勉強に専念させたそうです。で、エルミートは無事にポリテクに受かり、19世紀のフランスを代表する数学者へと歩んだ、と。
ガロアの伝記の副題は「神々の愛でし人」だけど、E.T.ベルの『数学をつくった人々』で記述されているガロア伝には、「天才と狂気」という題がついています。こちらの方がガロアには合っているような気がしてしまう。
話は逸れますが、フランス滞在中に活躍した日本人数学者に、故・岡潔がおりますね。現在、「岡の原理」として知られる他変数巻数論の論文は、たしかフランスの数学雑誌に発表されたんじゃなかったのかな。日本語訳が出たのはかなり後になってからだと思いますが。
うちの炊飯器、13区の中華街で 50 Frsで売ってるようなやつなんだけど、ずーっと水道の水で炊いてますぜ。ただ、それを譲ってくれた人は Volvic で炊いていたそうだけど。いずれにせよ、シンプルな炊飯器の方が耐久力はあると思う。
コーヒーメーカーはカルキがたまるんで、このところはもっぱらインスタントですねえ。で、ヨーロッパ限定販売の Nescafe Asta Rica って銘柄がすんげえ旨い。年末の一時帰国で実家にみやげに持って帰ったら、けっこう受けてました。
まあ、インスタントを飲むんでも、湯沸かしポットのカルキは貯まるんだけどね。
フランスの学生の求職活動は、基本的には「CVを送りまくる」ってやつですね。たしか就職までに一人平均して 600通送るっていう調査結果があったように記憶してます。グランゼコール出身者でも職に就くまで平均半年かかるらしい。その間は友人宅に居候し、ベビーシッターなどのバイトをするか、3ヶ月〜半年の stageをしながらCVの作成費や郵送費を捻出するってパターンが一般的だったのが、ここ数年の就職難のために、こういうことを親の実家でおこなうケースが増えたとか。家族問題の研究機関がある Sorbonne-Nouvelle の調査だったと思うけど、フランスでは親元に住む20代前半の若者が急増しているそうです。
CVを送るにしても、過去に stageをやったところにアタックする、学校の掲示板のアノンスを見て送る、先輩のツテを辿る、なんてパターンがある。とくに先輩のツテというのは、bizutageの支持理由になっていましたね(そういや一昨年あたりからは、この“通過儀礼”もすっかりと見なくなりました。まあ、禁止されちゃったからね)。あと、グランゼコールが大学よりも就職に有利なのも、同窓会組織がはるかに強固だから、ということがあります。
商業系グランゼコールなんかだと、毎年春ごろに、その年の夏の stageを募集する会社の合同説明会が学校で開催されます。教室に使うスペースを企業がブースを構え、日頃はラフな格好の学生も、この日は日本でいうリクルート・ルックでやってくる。雰囲気は学園祭に近いものがありますが、どこでどういう stageをするかはCVでも重要なポイントですので、学生もかなり気合いをいれてチェックしてます。
企業の求人アノンスの方は、diplome を指定するものが多いです。DESSなんかはそうした指定項目に含まれることがあるわけだ。一番露骨なのは学校指定で、応募者は HEC または ESSEC の diplome 限定、なんてね。
リセに準備コースがあるのは、グランゼコール制度の一環です。
Polytechnique や normale などの国立グランゼコールの場合、まずバカロレアで優秀な成績(たぶん、数学と哲学が重視されてるはず)を取った者が学校長の推薦によって、準備コースに進む。これがいくつかのリセに所属してるんだけど、イメージ的には日本の旧制高校に近いかもしれない。
で、準備コースを2年経てから concours を受ける。これに合格すると、晴れて入学が許される……という流れです。concoursに落ちた者は、救済措置として大学の 2e cycle に編入する権利があったはず。その意味でも、準備コースは大学の教養過程とおなじようなもんですね。
ただし、事実上の“私立大学”に相当する商業系グランゼコールや、Telecom Paris のような技術系のところは、別の募集基準があるかもしれない。グランゼコールといっても、分野もレベルもきわめて雑多ですから。
かつてワタクシが学部3年のとき、フランスの高名な数学者 J-P.セールの本(の日本語版)がテキストに指定されたことがありました。で、後書きを見たら、このテキストはエコール・ポリテクニクの第一学年生向けのもの、なんてことが書いてあった。一年生がこんな難しいことやるのかよ〜、と唖然すると同時に、さすがエルミートやポアンカレの母校……と思った。でも後からそれが日本の3年生に相当すると知って、すごくほっとしたものです。
ENA のユニークなところは、他のグランゼコール内に受験予備教室があるんだ、ということを言いたかったのです。Polytechnique から ENAには推薦枠が二人あったんじゃなかったかな。たしかジスカール・デスタンが“二冠王”だったと思います。ベルナール・タピもだっけか。ポンピドーとシラクは Science Po から ENA ですね。ノルマル出身だと、シャルル・ドゴール、シモーヌ・ヴェイユといったあたり。現在話題の人、クレッソン女史は HECだっけか。
シラクは ENA時代にミッシェル・ロカールと同窓生で(成績はロカールの方が良かったらしい(笑))、おなじ女子大生に惚れてつばぜり合いを演じたこともあるそうな。そんなわけでこの二人は仲が良く(アンチ・ミッテランという点でも共通していたし)、シラクが大統領選に勝ったとき、ロカールがエールを送っていましたね。
人によっては Volvic でご飯炊いてますよ。粉ミルクを溶くときでも、推奨銘柄は Volvic です。
なぜ Volvic かというと、この水が一番柔らかくて日本の水に近い風味だから、ですね。ミネラル分の含有率も Vittel に比べるとかなり低いです。その点が Spaとおなじ。
このところ修羅場ぶっこいてるので、patin をしに行く時間がない(;_;)。せっかくパリも春になったのに。今年は 3月12日が季節の切り替え日でしたね。去年は3月8日だからちょっと遅れたけど、だいたいいつも3月15日前後だし。あと二週間で夏時間だけど、時間が経つ早さを痛感してしまう。
警察のブレーダー隊は、めちゃくちゃうまいっす。おまけにガタイがいいから、滑走にもすんげえ迫力がある。ありゃローラーホッケーでもやって鍛えているんじゃなかろうか。
チームの写真は pari-roller の web にも掲載されてますから、興味のある人は次のURLにアクセスし、左フレームの PRESS をクリックしてください。
http://www.pari-roller.com/
アメリカのサイトだけどテキストはすべてフランス語なので、接続前にブラウザのencodeを「ISO 8859-1(Western Latin 1)」にすることをお忘れなく。
その Prefecture de Police にはローラーブレードのチームもあるんですねえ。pari-rollerには彼らが付き添っています。CRSの制服に自転車競技の人がかぶるようなヘルメット、肘や膝をプロテクトした姿は、ほとんシュワルツェネッカーの世界ですねえ(笑)。
日曜の parcours の方なら貸し靴もあるそうですよ。こんどパリにいらしたときに挑戦なさってみては(笑)?
「数学者になりたい!」と思って大学の理学部数学科に入るような連中というのは、わたしの知る限り、中学2年生ぐらいのときにそう決意し、さらにそのキッカケは、ガロアという少年が方程式論を根底から覆したという数学史的事実を知ることだ。ガロアの業績はそれほどまでに凄まじく、インパクトが大きい。さらに、ガロアというエキセントリックな性格の持ち主が、なんとなく数学者志望者のスノビズムをそそるのだろう。
思えば93-94年に通っていたキャンパスは、ガロアの母校のすぐ隣であった。数学史でしか知らなかった人物が生活していた空間で、自分も日常的な生活を過ごしてきたわけである。あらためて思うと、時間の感覚が大きくゆらぐような気分になってしまう。
(2006.3.12記)