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20世紀の日記

*この日記について

99年5月の日記の一部は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1999年5月30日 案外あっさりと

 当の本人も、二度目の挑戦で完走できるとは思わなかった(笑)。やっぱローラーブレードを買ったのが大きいと思います。これ、スピードの出方が違う。上りの疲労感がまったく違うんですよね。やっぱマテリエルの進歩はすごいもんです。
 いやしかし、パリを観光する日本人は何十万人といても、ローラースケートで車道を走り回った経験のある人はそんなにはいないと思うと、なんとなく気分がいい(笑)。最近、パリはローラースケートのメッカと化しつつあるようで、参加者の中には、イギリスやドイツから来ている人もかなりいるようです。もちろん、このためだけにやって来たわけじゃないんだろうけど、旅行の目的の一つにはなっているんじゃないですかね。
 我々の年代だと、ローラースケートのメッカといえば、言うまでもなくアメリカの西海岸でしたけどね。日本では代々木公園と神戸の須磨浦が人気スポットで、ぼくは一度、須磨までわざわざ滑りに行ったことがありました。

1999年 5月28日 PARI ROLLERへの道 初完走

 ついに完走(笑)!
 コースが久々に左岸中心だったので、これなら途中でリタイヤできると思い、参加してみました。まだ薄明の残る午後10時、Place d'Italieに集合、10時20分ごろに出発し、無事、0時50分ごろに13区の区役所前まで戻ってこれました。いやー、疲れた。
 今日のコースは、先日の Roller & Coquillages とダブっているところが多かったです。アップダウンとか石畳の場所がだいたいわかっていたので、その分、心の準備がしやすかったのも大きい。とくに坂はピークがどのあたりにあるかを知っているかどうかで、疲労感がかなり違いますからね。
 Place d'Italieを出てからは、Bd BlanquiDanfert Rochereauに向かいました。ここは日曜と逆方向なので、最初に下り、ライオンのロータリーの手前が登りです。で、St.Jacque通りを北上し、Port Royal駅近辺でBd Port RoyalBd St.Marcelと進む。もろにうちの前を通るコースなんですねえ。そしてAusterlitz駅前からセーヌ沿いに西に進むコースも、日曜に走ったところと同じです。例によってアラブ世界センター、St.Michel広場、アレクサンドル3世橋の前を通り、因縁の地(笑) Invalideに出ます。思えばこのPari-Rollerに初挑戦し、疲労でリタイヤしたのがInvalide。それが3月だっけか。あのときはウィンドブレーカーを着ても寒かったのが、いまはみんなTシャツです。
 InvalideからMontparnassに出て、Bd MontparnassRER Port Royal駅前に進み、そこからBd St.Michelを北上し、Pont St.Michelを渡ってすぐに右に向かい、Notre-Dame広場に着いたのが11時45分ごろ。ここで pause となりました。たまたま広場でなんかのTV中継をやってたんで、スケーターの何人かがインタビューに引っぱり出されてました。
 Notre-Dame広場を出たのが12時ジャスト。Pont au Changeを渡ってすぐに右折、パリ市役所の右手をぐるりとまわる感じでrue de Rivoliに出て、Chateletのところで右折、こんどはBd de Sebastopolを進みました。7年前、パリに来て最初に住んだのがポンピドーセンターの近くだったので、この通りはけっこうなつかしい。
 途中、右折してBd Beaumarchaisに抜け、そこからPlace de la Bastille に。ここなんかは、日曜のゴールだった通りです。で、Bastilleのロータリーを4分の1周し、Nomades のあるBd de Bourdonに出る。ここから先もすでにおなじみのコースで、橋を渡ってBd de l'Hopitalに抜け、そのまま上り坂をPlace d'Italieまで目指す……といった感じです。
 さすがにペースが速い。途中、けっこうスピードを出したところもあるんだけど、結局隊列の3分の1ぐらいのポジションでした。今日の参加者は二千人ぐらいはいたんじゃないかな。夜もいいけど、やっぱ日中の方が爽快感がありますねえ。それと、ペースが速いので、スピード制御のおぼつかない初心者がどんどんぶつかってくる。足をひっかけられたことも、一度や二度ではないっす。やっぱ日曜の方で先頭近辺を滑っていた方が楽だ(笑)。
 しかし、これでとりあえずの目標が達成できた。もう思い残すことは、あまりないかもしれない(笑)。

 スケートから帰ってから、わずか40分後に書いたレポートでした(笑)。

1999年 5月23日 Roller & Coquillages

 もはや定着パターンと化しつつある日曜午後の roller balade、先週は仕事の追い込みがあったので1回パスしたけど、今回はちゃんと行ってきましたとも。Versaillesまで完走できたんだから、もう楽勝。でも2回こけたけど(笑)。
 Bastilleを出発したのが予定通り午後2時半。隊列の先頭の方にいたんだけど、この日も好天だったので、参加者は遥か彼方まで続いてました。少なくとも3000人はいたんじゃないかな。
 Nomades前を出てからは橋を渡り、それからセーヌ沿いに西に向かい、アラブ世界センターや Tour d'ArgentSt.Michel広場、Orsay美術館などの前を過ぎ、Assemblee NationaleのところからSt.Germain通りへ。この通り、例によって滑りやすくてすんげえ爽快。
 それから6区を縦断するようにして、Raspail通りからDenfert Rochereau に抜け、針路を東に転じてPlace d'Italieに出て、そのまま東に進んでBercyの新官庁街に進み、SNCFの大きなガードをくぐり、Place de la Picpusの近くにあった公園で休憩となりました。ここに着いたのが午後4時半ぐらいだっけかな。
 5時5分前に再度出発し、Nationalの横を通過してからAvenue de Republiqueに。この通りが今日のハイライトでしたねえ。広いし路面状態がいいし、おまけに隊列の先頭方面はペースが速い。1キロ弱の距離だったと思うけど、傾斜もフラットだったので思いきりスピードを出せた(快感)。
 Bastilleに戻ったのは5時45分頃でした。

 今日気づいたこと。そこそこ脚力があって、そこそこ経験があれば、絶対に隊列の先頭近くにいたほうが滑りやすい。なにせ人数が人数なんで、先頭と末尾とではペースがまったく違うんですね。で、後ろにいくほどペースが遅く、しかも人口密度が高い。スピードの制御がけっこうタイヘンなんです。
 その点、前の方にいれば、間隔がけっこう開いているんで、わりと自分のペースとコース取りで滑れてしまう。スピードの出しすぎにだけ気をつければいい。大きなロータリーでは隊列を縮めるためにストップするんだけど、前にいればそのときに小休止できる。後ろにいると、だらだらと滑り続ける感じなんですよね。

 いやしかし、こういうことをできるチャンスもあと数回かと思うと、それがいちばん哀しい。夏至のころには Pari-Roller にも再挑戦すっかな。

1999年 5月19日 ゲラが届く

 日本からFedEXでゲラが届く。刊行予定はかなり先になったということで、相当直しを入れてもいいとのこと。なーんて言われると、あちこち書き直してしまうかもしれない。

1999年5月18日 国際郵便為替

 フランスへの送金は国際郵便為替(International Money Order)による送金が最も安全で経済的ですよ。取扱は中央局クラスの郵便局だけですが、まず取扱窓口に行き、「フランス・フラン建ての国際郵便為替を送りたい」と告げてください。申込用紙を渡されたら必要事項を記入し、送金額相当の日本円(レートはその日の午前十時の東京外為市場だったと思います)プラス郵送料を支払います。記入すべき事項は、フランの送金額と送金先の宛先および住所です。
 為替の方はその場で作成され、書留扱いの航空便で郵送されます。郵送料とあわせた手数料は 500円ぐらいだったんじゃないのかな。外国送金ではこれが最も安い方法ですね。書留扱いですので、送った・送らないのトラブルも回避できるはず。
 電信為替の方は、郵便/銀行間の送金はできませんので、先方の郵便貯金口座がないと使えません。もしその口座が分かっていれば、電信為替でも安い手数料で送金できます。不明な点があれば、東京国際郵便局に問い合わせれば、いろいろと親切に教えてもらえますよ。
 以前、原稿料を日本からの国際郵便為替で受け取ったことがあるのだけど、少額だったせいか、郵便局員が直接現金に換金して持ってきてくれました。まあ、フランスの郵便局は親切は親切なんだけど。

1999年5月15日 魔法瓶

 なくてびっくり、後で納得したのが保温機能付の魔法瓶ですね。かわりに使うのが電気の湯沸かし器(bouilleurだっけか?)だけど、230ボルトだと沸くのがとにかく早い。コーヒー二杯分ぐらいだったら、ほんとうにカップを用意している間に沸いちゃう(ちとオーバーか(笑))。これなら保温機能付き魔法瓶なんか必要ないっすね。飲みたいときに沸かせばいいんだから。

1999年5月14日 ローラーで遠出できる範囲

 シャルトルは厳しいですねえ。フォンテーヌブローかバルビゾンまでなら、まだなんとか行けるかもしれないけど。
 学生時代、よく滑りに行った後楽園スケートリンクには、山本さんという名物スタッフがいたのだけど、この人、ローラースケートでアメリカ大陸横断をしたこともあるんですよね。当時ぼくは、せいぜい北海道の積丹半島で15キロほど滑ったことがあるだけだったけど(笑)。

1999年 5月9日 1ere Roll'heure : Paris-Versailles

 今回はいつもの randonnee がなく、代わりに1eres Roll'heures Paris-Versaillesというイベントがありました。ええ、もちろん参加しましたとも(笑)。
 この日、ベルサイユでは、Versailles Trianon Lions Club主催で Roller excursion が開かれ(なんかのチャリティーだったらしい)、それにあわせ、Pari-Roller と Roller & Coquillages が、パリからベルサイユまでの randonnee を開催したわけです。
 集合は11時半にモンパルナス・タワー。そこまではバスまで行こうと思ったのだけど、タッチの差で乗りそびれ、仕方ないので家の前からモンパルナスまで滑走するハメに。せっかく体力を温存しようと思ったのに。
 11時40分ごろにモンパルナス・タワー到着。出発は12時なんで、それまで足を休ませました。12時ちょい過ぎたところで先頭が動き出し、それにつれて移動。広場の横で今回の記念Tシャツを売っていたので、足を止め、40 Frsで1枚買いました。

 モンパルナスから先は、rue de Sevrerue de Lecourbeと、先週滑ったコースを進み、Boulevard Victorに出てセーヌを渡り、Avenue de Versaillesに向かいました。で、この二つの大通りが立体交差になっていて、隊列は側道に出て左折せんとあかん。ここでアクシデントに巻き込まれた。
 BD Victorがゆるい下りになり、しかも狭い側道に入るので、スピードをぐっと落とさないといけない。こちらはなんとか減速し、あとは側道を抜けて左折するだけ、というときに、暴走した女の子に背中を押され、しかもその直後、Tシャツにしがみつかれてしまった。もう完全にバランスが狂い、側道側に転ぶか立体交差の下側に向けて急ターンを切るかしかなかったんだけど、さすがに大量の連鎖転倒の恐れがあるので、側道側には転べない。仕方なく左に思いきりターンしたけど、勢いがついたので転倒。このとき右の肘をすり切ってしまい、血がぽたぽたとしたたり落ちた。
 こういう怪我は、たいしたことがないわりに見かけがハデです。まあ、ほっといてもいいかと思ったけど、道路での怪我なんで膿むのが怖い。で、営業中の epicerie に入って Evian を買い(今日は水をぜんぶポカリスウェットにしてた)、その先の休止で傷口だけは洗っておきました。
 まあ、アクシデントはそれだけだったので助かった(^_^;)。

 Porte de St.Cloudを越えてからは、一路ベルサイユへ……といいたいところだけど、じつはこの先、延々と上り坂だったんですね。しかも途中、かなり急なところが三ヶ所あった。自転車でも一気に登るのはつらいぐらいの斜度があったと思う。
 ここで無理するとひっくり返ってしまうので、息が切れたら日陰で小休止&給水を5度繰り返し、なんとか大休止の森まで到着したのが午後2時でした。スタッフの話では、この「心臓破りの丘」は延々6キロあったらしい。休憩中、スポンサーの Champion提供の水やジュース、オレンジなどが配られました。
 午後3時15分に再スタートとなりました。しばらく緩い上りが続いたあと、今度は一転して下りの大通りとなった。足が疲労しているときは、下りの方がきついんですよね。スピード制御に筋力を使うし、マメに制御しないと大転倒して怪我をする。いやはや、この下りは本当にきつかった。
 午後4時ちょうどぐらいに、ベルサイユ宮殿前の通りに出ました。ここでは当日のイベントにあわせ、露店やら楽隊が出ていた。柵を抜けて出ようとしたら、スタッフが参加者全員に記念メダルを配っていました。

 この日はSNCFも協賛団体に入っていたらしく、参加者はパリまでのチケットを10 Frsで購入できました。家に戻ったのが午後5時半でした。

1999年5月6日 アップ&ダウン

 起伏豊かなパリ市内でも、モンマルトルの丘を除けば、エトワール広場、パンテオン、そしてイタリー広場が「頂」なんですよねえ。その一つがスタート&ゴール地点なんで、Pari Roller ではイヤでも一度は心臓破りの登り状態になるわけです。
 でも、モナコよりはずぅーっと楽だと思う。今年もモナコGPの季節が近づいてきたけれど、名物の上り坂 Monte de beau rivage など、テレビで見るより遥かに急ですからね。これまた名物コーナーの Mirabeau から Rose、Poitierにかけての下りも、急坂といってもいいくらいだし。

1999年5月4日 気分爽快

 Rue de Vaugirard の間違い。その他では、Boulevard de St.Marche じゃなくて St.Marcel ね。
 いやしかし、Boulevard de St.Germain の滑走は、本当に気分が良かったです。教会近辺は路面がアスファルト舗装で、まるでリンクを滑っているような感じでした。この通りは車線数の多い一方通行路なので、広い道幅をめいっぱい使える。屋外ローラーのための道みたいなもんです(笑)。ああ、これは病みつきになる。
 Pari Roller のコースはけっこうアップ・ダウンがきついんですが、Coquillages の方は、初心者への配慮だと思いますが、フラットな区間を極力集めているような印象がありました。ちょっと傾斜のきつい登りは Vaugirard通りの最後の区間ぐらいでした。
 Roller et Coquillages の方は、Nomades で靴のレンタルもやっていますから、旅行者でもローラー好きの人はぜひトライしてみてください。

1999年5月3日 なんとか離陸

電子ブックの実験的販売サイト「ほん・まるしぇ」がなんとかスタートにこぎつけた。もともとは岬兄悟さんより、デジタル・テキストの販売方法について相談を受けたのが話の始まりであった。その後、趣旨に賛同してくれたいろいろな作家さんのご協力により、ひとつの販売コーナーとして実験を開始できることになった。

1999年 5月2日 Roller & Coquillages(初完走)

 ついに完走!……したのは、Pari Roller ではなくて、Roller et Coquillages の方なのであった。
 今日は気温21度もあるピーカンの日曜日。こりゃかなりの参加者がいるなと思ったけど、案の定、三千人ぐらいはいたんじゃなかろうか。Coquillages という名の通り、こちらの方は初心者OKのスローペースなので、参加者も小学校低学年の子どもから高齢者まで幅広かったです。
 スタートは Bastille の Nomades前。といっても、参加人数が人数なんで、先頭がスタートしてから最後尾が動き出すまで、十分以上かかったんじゃないのかな。以下、コースは途中の道路標識をちらちら見ながらのものなんで、やや不正確だと思います。
 Nomades前を出てからはBoulevard de Bourdon(運河沿いの道)をセーヌに向かい、Boulevard Morlandに一瞬入ってからPont d'Austerlitzを渡って左岸に出る。このあたりはバスでも車でもさんざん通ったところなのでおなじみ。Pont d'Austerlitzの舗装がすごくよくて、けっこうスピードが出たのはいいんだけど、Boulevard de l'Hopitalに入る交差点が石畳だったので、急ブレーキをかけるハメに。これで一度こけそうになった。
 Boulevard de l'HopitalからBoulevard de St.Marcel、そしてPort Royalへと進むのですが、このあたりは91番のバスの道です。Gobelins交差点からPort Royalに入ると、カミさんとムスメがベランダから見ていたので手を振ったんだけど、さすがに何千人もの隊列だったので、気が付かなかったみたい。ムスメが手を振ったので、さすが「我がムスメよ」と思ったのだけど、帰ってから聞いたら、知らないオジサンが手を振っているのだと思った、だと(笑)。
 じつはPort Royalに入ったあたりで足が張り、早々にリタイヤかな、なんて事態に陥りました。家のそばだから帰るのも楽だし。歩道のベンチに座って足をほぐしていたんだけど、隊列が次から次へと続く。おかげでなんとか復帰できた。その後も何度かリタイヤの危機はあったのだけど、長い隊列とスローペースに救われました。こりゃ Pari Roller の方はまだあかんな。
 その後コースはBoulevard de Montparnasserue de SevresRue LecourbeRue de la Conventionへと進み(このあたり、やや不正確)、Pont Mirabeauのところで再びセーヌ側とご対面。で、Quai Andre Citroenに出てParc Andre Citroenに入り、ここで30分間ほどの休憩タイムとなりました。何千人って人数なんで、公園沿いのrue de la Montagneは参加者で“貸し切り”状態でした。
 交差点の何ヶ所かは石畳なんで、そういうところはスタッフが「Pave !」と叫んで注意を促してました。ちょっと急な下りが始まるところでも、「Descendrre」という看板を掲げたり、けっこう気を使っている様子が見られます。

 小休止が終わってからは、rue Leblancrue Lecourberue de la Conventionrue de Vaugirardへと抜け、六区に入ってからはrue de Rennesを滑走。St.Germain des Pres教会の前で隊列を整えるためにストップしたんだけど、振り返ると、あのRennes通りがスケーターで埋め尽くされていた。
 その先のBoulevard de St.Germainは道も広く舗装状態もよかったので、えらく快適でしたねー。見物人がいるのもなんとなく気持ちがいいし(笑)。St.Germain通りを一気に滑ってからは、Pont Sullyを渡って Bastilleに戻りました。
 午後二時半に出発し、戻ったのが午後六時ごろ。休憩時間を除けば、正味三時間ぐらいですが、スピードが遅かったので、滑走距離は20キロちょいぐらいだと思います。でも足がもうフラフラ(笑)。それにしても、ホイル径のでかいローラーブレードの方が、公道や上り坂は楽ですね。速度制御とバランスは四輪のローラーよりも難しいけど。


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最もシアワセな日々

よもや巴里滞在の最後の最後になって、これほどシアワセな経験ができるとは思ってもいなかった。ローラースケートを始めて経験したのは小学校3年生のときなので、1968年のことだ。オリンピックでいえばメキシコ五輪の年である。つまり、サッカーの日本代表が銅メダルを取ったときだ。以来、ずっとローラー一筋というわけではないが、けっこういろいろな機会に滑走を楽しんだものだ。
それにしても、巴里のこのpari-rollerは、ローラースケーターにとっては理想的な企画である。いちどアウトドアで滑走を経験してしまうと、もはやリンクでは満足できなくなってしまう。直線の長さが違いすぎる。アウトドアといっても、Boulevard de St.Germanなどはアスファルト舗装だったので、思い切りダッシュできる直線コースみたいなものだった。
フランスを訪れる日本人観光客は毎年何万人といるわけだが、ローラースケートでベルサイユまで行った人はごくわずか……なんて思うと、ちょっと誇らしい気分になれる。
(2006.3.12記)