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20世紀の日記

*この日記について

99年6月の日記は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラムロマンス語派館」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。
当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。


1999年 6月25日 PARI ROLLERへの道 その4

 随分と参加しているようでも、pari-roller は通算で5回目。せいぜいあと2回かな。でも7月9日は引越があるんで、もしかしたら次回がラストになるかも。無念。
 今日のコースはきつかった。しょっぱなは地元av des Gobelinsからbd Port Royalを通ってモンパルナス経由でInvalides、そこからSt.German通りを通り、bd St.Michelbd Sebastopoleなど、おなじみのコースを滑り、Gare de l'Estの脇を通過してPorte de Pantinへ。ここで pause だったのだけど、時間がまだ早かったので、てっきり整列休止だと思い、立ったままでいたのがちょい失敗。いつもは一度靴を脱ぎ、少し足を開放して疲労回復をはかっていたのだけど、それができなかった。

 いやー、Porte de PantinからPorte des Lilasまでの急坂がしんどいこと。ありゃ自転車でも一気には登れない。途中で立ち眩みがしたくらい。あの坂で脱落した人も多いんじゃないかな。なにせ今日はピーカンだったので、推定3000人ぐらいはいましたからねえ。
 果てしない急坂が終わってからは、長い下りが待っている。ホイールを何度も横にしてブレーキングしてたら、途中でなんか焦げるような臭いがしてきた。今日は靴の方もけっこう痛んだような気がする。
 Place d'Italieに戻ったのが12時半ごろ。出発が10時15分ぐらいだったので、実際の走行時間は2時間半もないっすね。例によって出発前後に体重を量ったら、やっぱ2キロ減ってました。

※ 地図は http://www.pari-roller.com/ に滑走前日掲載されたもの。

1999年6月24日 大盛りサラダ

 ブラスリーの典型的な食事メニューがサラダなんだけど、これはけっこうイケますよ。昼でも夜でも、小腹がすいた程度なら、迷わずブラスリーに入り、salade composee を頼むのが無難な選択ってことが多いです。たいてい5種類以上あって、料金は 40 Frs前後です。
 フランスは牛肉はまずいと思うけど、野菜はけっこううまい方じゃないのかな。トマトやほうれん草なんて、フランスで食べ慣れてしまうと、日本のはまずくてしょうがないですよ。クレッソンやエンダイブも日本は少ないし。まあ、日本ではかわりに旨い白菜や大根が食えるからいいんだけど(笑)。
 行くつけてない土地の一人旅でレストランに入るのは、気分的にけっこう面倒なものがあるんで、ついファーストフードやセルフサービスの店を利用しがちですが、フランスなら圧倒的にブラスリーがオススメですね。カフェよりも食事メニューが豊富だし、一人で入る客も多いですから。次に行くときはブラスリーのサラダを試してみてください。

1999年 6月22日 引越のときの住み処

 OVNIに載っていたバカンス期間中の短期貸しアパートの問い合わせメールに返事が来た。こちらの希望する期間、いまのところ空いているとのこと。場所がとにかく近いので、よほど部屋が狭くないかぎりは借りたいと思っている。いよいよ帰国もカウントダウンだ。

1999年6月19日 デモだからねえ

 最初はパリ市当局もよく認めるなぁ、と思ったのですが、roller の balade って、届け出の上では manifestation みたいですね。Officiel とかミニテルで見ると、manif sportive なんて出てますから。日本でも「これはデモです」と主張すれば実現できますかねえ(笑)。

1999年 6月18日 PARI ROLLERへの道 その3

 夏至前の最後の balade っす。久々にまる一日天気が良かった。集合時間の10時になって、やっとこさ日が暮れました。でもまだ外で新聞を読めるぐらいの明るさは残っていた。

 スタートは午後10時15分ごろ。今日はセーヌ川を中央に、ほぼ楕円のコース設定でしたね。右岸の方では、RepubliqueからGare du Nordあたりまで行きました。休憩エリアはVendomeのロータリー。で、けっこう広いエリアをスケーターで独占した状態だったんで、若い連中はぜんぜん休憩しようとしねえ(笑)。中央のモニュメントの周囲をにわかリンクにして、えらい勢いでグルグルと周回し始めた。いやはや、元気のいいことで。
 おもしろいことに、一方向だけに周回するんじゃなくて、途中でいきなり方向転換するんすね。そんなことを何度も何度も繰り返してました。最初の一、二回ぐらいは正面衝突も多かったけど、途中からちゃんと息があうようになるんだから(笑)。
 今日のスプリント・コースはRue de Rennesでした。気分良く隊列の先の方で滑っていたら、後ろからえらい勢いで暴走してきたやつにはじかれ、なるべく安全な形で転倒しました。連鎖転倒が後ろで一人。でもあのスピードで怪我をせずにすんだんだから、リカバリーはかなりうまくいった方だと思うぞ(自己弁護)。暴走してきたあんちゃんは、先の方で待っていて、こっちが復帰したら謝ってました。
 大集団の balade でなにが怖いって、まだキャリアがそれほどないのに体力は有り余っているワカモノの暴走ほど怖いもんはない。交差点とかスタート直後の渋滞では、平気で後ろからぶつかってストップしようとする。3度ぐらい怒鳴りそうになったぞ。
 今回は出発前後に体重をはかっておいたんだけど、25キロを滑ったあとって、体重が2キロも減るんですねえ。水は1リットルぐらい飲んでるんだから、かなりの量の汗が出るってことだな。

※ 地図は http://www.pari-roller.com/ に滑走前日掲載されたもの。

1999年6月12日 おーシャンゼリゼー

 今日(6/11)の pari roller、久々にシャンゼリゼがコースに含まれているので、ちょいと燃えてます(笑)。初参加のときの雪辱戦だな。

1999年6月12日 PARI ROLLER、子どもは?

 pari-roller も roller & coquillages の方も、圧倒的にインライン(一列のやつ)のローラーブレードが優勢です。もちろん、何で参加しても構わないし、4輪の人もけっこういますよ。スケボーの参加者もいるし(笑)。
 ただ、リンクならぬ車道ですので、凹凸がかなりあるんですよね。アスファルト舗装はほんの一部で、パリですからロータリーは石畳です。こうなると、ホイールが大きいほど滑りやすいんです。この点、四輪よりもインラインの方が圧倒的に楽。とくに上り坂の疲労度がまったく違います。
 ぼくがいま使っているのは、ホイール径が78ミリもあるんですよね。4輪のやつより完全にふた周りでかい。凹凸のある道での滑走は本当に楽ちんです。
 ローラーブレードの方は、オモチャ屋で売っているようなのなら 500 Frs ぐらいかな。子ども用なら 300 Frsぐらいだったと思う。ホイール径78ミリとなると、さすがに専門店(Nomades とか)でないとありません。値段も 1200 Frs以上します。
 で、インラインでも靴に着脱できるタイプがあるんですよ。Nomades でレンタルしているのは、そういうタイプじゃないのかな。まあ、パリ市内なら、テラスもあるんで、スケートをはいたままでも問題ないんじゃないですかね。それかスタンドでサンドウィッチでも買って、公園で食べちゃうとか。
 あと、baladeに参加するなら、プロテクタは必需品です。手・肘・膝、子どもだったら casquette もやってた方がいいです。
 パリ市内でローラー小僧たちが多い場所は、Palais Royalの小さな広場(St.HonoreとRivoliに挟まれたところ)とトロカデロの王宮のところですね。土曜や日曜なんかだと、カップルや学生らしきグループが、パリ市内の広い歩道の道をすいすい滑ってますよ。
 ローラーだったら、やっぱ「ザナドゥ」だよなあ(笑)。

1999年 6月11日 PARI ROLLERへの道 その2

 ……ということで、さきほど戻ってきました。もう完全にペースもわかった。楽々完走っす……って、途中、Boulevard de MontparnassからSt.Jacqueに曲がるところを、面倒だからそのままPort Royalに向かって帰っちゃったんですけどね。

 今日は観光コースです(笑)。Place d'Italieを出て、Boulevard de l'Hopitalからアラブ世界センターの前まで行き(ここはもう完全なレギュラー・コース)、橋を渡ってバスティーユを目指し、手前を左折してHotel de Villeの脇を通り、前回と似たようなコース取りでBoulevard de Sebastepoleを進み、左折してSt.Denis門の前を通り(要するに、娼婦街のブロックを囲むように進んだ)、Printemps前で若干休止。ウェイブを6回ぐらいやったかな。
 この時の時間が午後11時で、薄明のなか、金星がきれいに見えました。日没が遅いとこんな時間まで「宵の明星」が見えるんですねえ。で、一瞬流れ星が見えたと思ったんだけど、それがどう考えても雲の下。おかしいなー、と思ったら、宵っ張りの鳩だった。あのあたりの鳩は鳥目じゃねーのか(笑)。
 Printempsからオスマンのロータリーを通過し(日本大使館の近く)、いよいよ凱旋門が見えるところまで来た。じつはそのあたり、うちの大家が住んでいる(笑)。シャンゼリゼを前にして、交通整理のためにしばしストップ。フランス人でも凱旋門やシャンゼリゼって、やっぱ特別な場所なんですかね。なんかもう、みんな興奮状態だった。近所の人はびっくりして目を覚ましたんじゃないかな(笑)。
 Webでルートを見たとき、ひょっとしたらエトワールのロータリーを滑れるのかと思ったのだけど、残念ながら外周の細い道でした。で、いよいよシャンゼリゼ。誰か「お〜、シャンゼリゼ」と歌っておった(笑)。
 しかしこの道、ずーっと石畳だったのね。これはちょっとまいった。下りの石畳って、めいっぱい滑りづらいですから。振動でガタガタきて、途中、靴からホイールが取れた子もいました。
 なんとかルーズベルトまで下り、そこからMontaigne通りを抜け、橋の手前で小休止。ライトアップされたエッフェル塔がなかなか。テレビの取材クルーもいました。もしかしたらちょっとは映ったかもしれない(笑)。
 橋を渡ってからはInvalideに出て、そこで10分間の休憩タイムです。
 再出発したのが12時20分。このときは、隊列のほぼ先頭に出ました。おかげで進行の様子がやっとわかった。先頭には当然先導の白バイがいて、その後ろにはCRSのローラブレード・チームの一人が滑り、その後ろをスタッフ数人が手をつないでバリケード状態で滑っていたんですねえ。で、ある程度進んでからは手を離し、ちょっとペースアップしてました。
 さすがに初心者はダメというだけあって、ペースアップ後はかなり速い。たぶん、大人が全速力で走っても追いつけないぐらいは十分に出ているから、時速にして35キロ以上は楽々いってるんじゃないかな。
 その先はMontparnasseに出て、Tour Montparnasse前で隊列整列のために小休止。で、あとは本来のコースではSt.Jacque通りからDenfert Rochereauに出て、Banqui通りから終点のPlace d'Italieに戻ります。まあ、このあたりはすでに何度も滑っちゃったのでパス。
 よーやっとローラーブレードが足になじんできた。四輪とはフィーリングが違っていたんで、数回滑ってやっとギャップがなくなってきた感じです。ホイールが一列だから、バランスを崩したとき、つい両足で踏ん張っちゃいそうなんだけど、じつはこれがいちばん危険なんだよね。なるべく片足でいたほうが、かえってリカバリーがしやすい。両足で長時間滑るのなら、小さくスラロームしたほうが安定しますね。

※ 地図は http://www.pari-roller.com/ に滑走前日掲載されたもの。

1999年6月10日 Roller & Coquillagesなら楽

 Roller & Coquillages というのは、association の名前です。Pari-roller も同様で、活動の詳細は次のページに出ています。 http://perso.wanadoo.fr/rollers.coquillages/ http://www.pari-roller.com/
 どちらが主宰する balade も、協会に加入していなくても無料で参加できますが、加入しているとスポーツ保険に入れるのと、あれだけのイベントを支えるスタッフに敬意を表する意味で、一応、加入しました。年会費は両協会セットで 250 Frs ぐらいだっけかな。
 機会があったらぜひ Roller & Coquillages に参加してみてください。完走はしなくても、雰囲気を味わうだけでも楽しいと思います。大人なら集合場所の Nomades で靴を借りられます。
 路面状態のいい道で思いきりダッシュするときは、ついついオリビア・ニュートン=ジョンの「ザナドゥ」を口笛で吹いてしまう。スローテンポのときはもちろん「マジック」(笑)。あの映画では、ジーン・ケリーのスケートさばきが見事でしたねえ。70歳になっても、あれぐらいの身のこなしができたらいいんですが(笑)。
 パリが観光客オンリーの状態になるのは、8月上旬ぐらいじゃないですかね。あとは多少は閑散とするものの、それなりに店も開いていますよ。8月15日はゴースト・タウン状態に近いですけど(笑)。なんかこのあたり、日本のお盆と同時期なんでおもしろいですねえ。

1999年6月10日 黄色いランボルギーニ

 はじめて St.German en Laye に行ったとき、お城の近くに黄色いランボルギーニ・ディアブロが駐車してあったのだけど、ああいう街ならさもありなん、という印象を抱いたものである。
 一戸建てならやっぱ St.German en Laye だよなあ。老後の目標にしよう(笑ホ)。

1999年6月9日 相場の上下

 円対欧州通貨の相場って、だいたい6年周期で上下してるみたいですね。92年8月の悪夢のような円安のときは、100 JPY = 3.85 Frs なんていう両替所がけっこうあったけれど、94年の冬なんかは、こんどは 100 JPY = 5.85 Frs とかですもん。先日、オペラの近くの両替所をちらりと見たら、いまは 100 JPY = 5.23 Frs になっていた。くそー、また為替差損だ(;_;)。
 来年あたりは 100 JPY = 5.5 Frs ぐらいまで行くんじゃないっすかね。euroで換算すると、1 euro = 120 JPY か。これだとドル相場は 1 US$ = 118 JPY ぐらいだから、もっと円の方が強くなっているかもしれないな。しかし、1 US$ = 105 JPY で 1 euro = 1.02 US$ とかになったりすると、1 Fr = 16.3 JPY という猛烈な円高になっちゃうんですよね。

1999年6月9日 子どもスケーター

 4歳・5歳ぐらいの子どもでも、休日には公園なんかでよく滑ってますね。
 baladeの方でも、さすがに pari-rollerは無理だけど(それでも小学生高学年ぐらいの子どもは何人か参加してます)、roller & coquillages なら、5歳ぐらいの子どもが滑っていることもあります。もちろん親が同伴で、おとーちゃんが綱で引っ張っているっていう親子もいますが(笑)。
 先週は pari-roller と roller & coquillagesの連チャンに挑戦するつもりだったけど、金曜は雨、日曜の randonnee は他のイベントのために順延になったらしい。

1999年6月9日 マッチョな人たち

 95年11月のストは、ジュペ政権の福祉予算カットやら公務員削減への抗議だったんじゃなかったっけ。ジュペ政権もマッチョだったけど国民もマッチョだったねえ(笑)。

1999年6月8日 大規模なスト

 パリでも全体が paralyse っていうのは、かなり珍しいですよ。今回みたいなケースは、95年11月以来じゃないっすかね。そのときぼくは運良く日本に戻っていたのだけど。
 たしかフランスでは全面ストは違法で、RATPにしてもSNCFにしても、ストを行うときは、かならず特定区間を特定時間内にやる、というシステム(?)だったと思います。だからストが多いわりに、わりとみんな、さっさと動いている路線に移動しちゃうんですね。そういうストの情報は、切符を通すところにあるディスプレイに詳しく掲示されています。
 パリ市内は東京に比べて狭いので、メトロ10駅分ぐらいの距離なら、さっさと歩いてしまった方が手っ取り早いかもしれない。今なら気候もいいですから、この時期、もし観光でパリに滞在していたら、ずっとカフェで本でも読んでいるか、せこせこと歩きまわっているかのどちらかだと思います。
 あと、自分が物書きとして食っていくようになってからは、なにかトラブルやハプニングがあると、腹が立つよりも「これで原稿ネタが一本できた」と思うことの方が多いですね。

1999年6月8日 St.German en Layeはいい

 St.German en Laye は RER A1線の終点で、Etoile から15分ぐらいのところです。パリ中心部までに出る時間からすれば、ほとんどパリ市内といってもいいところで、瀟洒な高級住宅地ですね。現在は博物館として使用されている城があって、その傍らにはルイ16世が生まれた館があります。
 この街には国際学校があるんで、日本人の住民も多いですよ。収入が潤沢にあれば、この街の一戸建ての家に住みたいもんだな。

1999年6月8日 週末はパリ

 ヨーロッパの出張では、「土日はパリで」というのが鉄則ですねえ。ヘタにドイツの地方都市に居ようものなら、土曜の午後から月曜の朝まで、本当にゴースト・タウン状態を経験しなきゃならなくなる。その点、パリだけは、最近は日曜でも開いている店がけっこうありますから。

1999年6月5日 欧州選挙

 先週の金曜に Pari-Roller で13区役所の前にたどりついたら、なにやらポスターが並んでいるんで、何か選挙でもやっているのかと思ったら、欧州議会選挙だったのね……という程度の感覚でした。
 あれってバラデュールやトゥーボンも候補者になってましたっけ?
 どうも欧州議会というと、蟻発言のクレッソンが汚職しまくったところ、という印象しかないんですよねえ。


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スケーター目線

パリ市内は案外と起伏に富んだ地形である。凱旋門とパンテオンが丘の頂に位置するので、そこを通過する道、たとえばシャンゼリゼとかサンミッシェルなどの通りは、スケーティングにはけっこうしんどい坂なのだ。
pari-roller初挑戦のときは、70年代末に流行したスニーカータイプのローラースケートを使ったのだが、これではアウトドアのオンロードは歯が立たない。道路というのはけっこうでこぼこしていて、しかもヨーロッパだと石畳の区画があちこちにある。通常のスケートはホイール径が小さいので、細かなでこぼこの衝撃を吸収しきれず、その分、コントロールが難しく、すぐに足が疲労してしまう。その点、インライン・スケートはホイール径がはるかに大きいし、キック時にホイール四本を通じて地面に力を伝えられるので、上り坂の滑走力が違う。パリのようにアップダウンが多く、しかもでこぼこの路面上を滑るとなると、インライン・スケートでないと厳しい。
pari-rollerで巡回するルートは、パリの繁華街や観光スポットがいくつも含まれる。これまでに何度も訪れた場所ばかりだが、車道から、しかもスケーティングの速度、スケーティング姿勢からの視野は、観光客が眺める街並みとは違う景色を味あわせてくれるのだ。こういうスケーター目線を経験できるのも、pari-roller参加の特権だろう。


夜中の「宵の明星」

夜10時過ぎに集合するpari-rollerだが、夏至のころになると、その時間はまだ十分に明るい。11時半ぐらいになってようやく夜になるのだが、ふと空をみると、金星が明るく輝いている。西空の金星といえば「宵の明星」、それが時間的には夜中に見えるわけだ。