「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1994年11月号掲載
江下雅之
ハンドル使用の是非をめぐる論争は、ネットワーク通信の誕生間もないころから存在するといっていいだろう。もはや古典的な論争ネタであるが、あらたなネットワーカーがまだ増大しつつある現在も、あいかわらずバトルに発展することが多い。
論点は比較的はっきりとしている。
会議室や掲示板での発言を「実名」――厳密にいえばサービス業者への登録名――でおこなうことが、トラブルにつながる暴言の抑止になるかどうか、ということだ。
むろん、それ以外の運営上の理由から、ハンドル使用が禁止されることもある。
しかし、それは例外的といえるだろう。ほとんどの場合は管理手段のひとつとして、ハンドル使用を禁止することが多いのではないか。実名明記による抑止効果を期待する、という発想が一般的といえるだろう。
では、期待される抑止効果とは、どのようなものか?
実名推奨派の主張は、おおむね「実名を明かすことで、発言に責任がともなう」というものだ。発言に対する自己抑制を期待するのある。マスコミなどの署名記事を引き合いにだすひとも多い。
その一方、ハンドル派からの反論は、「ハンドルでも個体識別が可能であるから、当然、発言にも責任がともなう。実名でもハンドルでも、暴言を吐くひとは吐く」というものだろう。
よくよく考えると、責任をとるべき対象となる集団の捉え方が、両者の間ですれ違っているのだ。
発言に責任がともなうとは、逆にいえば、無責任な発言になんらかの制裁が科せられる、ということだ。
むろん、ここでいう「制裁」とは、フォーラム管理者によるな処罰を意味するのではない。処罰そのものは、実名・ハンドル使用に関わらず、発言行動そのものに科せられるものだ。
ここではむしろ、発言者の権威喪失、あるいはその集団への居心地の悪化など、一種の「社会的制裁」と考えるべきだろう。
しかし、ここでもなお次のような疑問点が生じる。
まず「権威」はつねにそれが通用する集団と、そのひとの演じる役割によって規定される。したがって、発言者の権威喪失といっても、どの集団における何の役柄に対応した権威が失われるかを考えねばならない。
居心地の悪さについても同様だ。そもそもどの集団での居心地が悪くなるのかが問題だ。
この「集団」を電子会議室、あるいはフォーラム・メンバーとするには、あきらかに無理がある。その場における個体識別の手段として、実名もハンドルもまったく等価なのだ。この点はハンドル派の主張通りである。
したがって、ここでは実名で通用している集団とのリンケージを考えざるをえない。
社会生活はしばしば演劇にたとえられる。ひとはそれぞれ、社会のさまざまな場面において、みずからの役柄を演じている。
別々の舞台が交錯したとき、われわれは抑圧を覚えることがある。父兄参観日に子供が見せる照れや緊張は、家庭と学校という異なる舞台の交錯が要因になっていると考えられる。
それぞれの役柄はまた、別個の規範によって制約を受ける。したがって、舞台が交錯したときに覚える抑圧は、規範が折り重なることで、より多くの制約を受けるためと考えられる。
この点、ハンドル派の発想は規範の重なりを避けることであり、実名推奨派はかえって制約を増やすことで、個人の行動にブレーキをかけようとする発想ともいえるだろう。
一般論として、自己開示を深めれば、発言者の所属する別の舞台が明瞭に描けるようになろう。この場合は、たしかにフォーラムなどでの発言行動に、なんらかの抑制が加わる可能性が高い。
一方、いわゆる「実名」は個人にとって、多くの所属集団で共通する個体識別手段だ。識別の信頼性はハンドルよりも高く、他の多くの舞台とのリンケージをもたらしうる。実名派が責任の所在を主張するときは、この可能性が論拠になっている。
しかし、識別手段としての信頼性は、識別の可能性とは別物だ。本人がよほどの有名人か、あるいはフォーラムの構成員が既存のヒューマン・ネットワークと強いリンケージを持っていない限り、実名だけで個人を特定できるものではない。ならば、実名明記は抑制として作用しない可能性が高いことになる。
このように考えると、原則として参加自由をうたうフォーラムでは、実名明記による抑止効果はあまり期待できないのではないか。「社会的制裁」を意図した管理をするのであれば、実名公開以上の自己開示を求めるか、フォーラム参加者の役割を明確に規定することで、行動に制約を加える必要があるだろう。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。