「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年5月号掲載
江下雅之
去る3月20日に東京で起こったサリン事件は、阪神大震災以上の衝撃を世界に及ぼした。地震のような天災とちがい、こうした都市型テロ行為は世界中で起こりうるからだ。アメリカのCIAが重大関心を示したのも当然であろう。私が住んでいるパリでも同日はトップ・ニュースで扱われ、その後も詳細な報道が続けられた。
このニュースを NIFTY-Serve の共同通信フラッシュ・ニュースで知ってから、まずはプレス関係の情報をあつめてみた。たまたま PC-VAN でメールを送るついでに、NHKニュース、朝日新聞および共同通信社のニュース速報を調べてみた。ほぼ十分おきにはいる最新の情報は、事件の非人道的な側面、そして、大都会がテロ行為の前にどれほど無防備であるかを教えてくれた。
毒ガステロに見舞われたら、われわれはどう対処したらいいのだろう? 犠牲者のひとりは有毒物質を素手で処理したせいだというが、緊急時にとりあえずなにをすればいいのだろう? そもそもこのような被害をもたらす物質が、簡単に合成できるのだろうか?
ニュースを読んでいるうちに、このような疑問がわいてきた。プレスの伝える情報は、いかにも化学のシロウトの書いたもの、という内容がおおかった。当局の発表したと思われる化学物質名が、機械的に列記されているだけだった。素朴な疑問には応えてくれない。
そこで、NIFTY-Serve のフォーラムのひとつ、《化学の広場》(FCHEM)を訪れてみた。
このフォーラムには、阪神大震災以来、『安全対策を考える』という臨時会議室(FCHEM MES(18))が設けられている。3月21日以降は、毒ガスなどに対する安全対策・緊急対応などの議論が盛んにおこなわれている。ただし、事件そのものに関する議論は、フリートーク会議室でもおこなわている。
以下は臨時会議室から読んだ内容から構成してある。
有毒ガス対策でまっさきに思いつくのは、防毒のガスマスクを使用することだろう。湾岸戦争でも、イラクのミサイル攻撃に備えるイスラエル兵のガスマスク姿が報道されていた。
FCHEM に出ていた議論では、次のような指摘がなされていた。
簡単に持ち運びなどができるガーゼマスクでは、ほとんど効果がえられない。かといって、防毒マスクは扱いが難しく、取り扱いをあやまると窒息してしまうそうだ。警官が当初装備していた簡易防塵マスクも、ほとんど効果がないらしい。それどころか、不十分な装備で処理にあたると、かえって二次災害をもたらす危険がおおきいという。とくに物質が衣服に付着した場合が要注意だ。
「簡易マスクを自作できないか」というような質問も出ていた。防毒マスクのフィルターが活性炭を用いることがおおいので、市販の脱臭剤やマスク、ゴーグルなどを組み合わせれば、ある程度効果的なのではないか、という考えだ。
しかし、普段から持ち歩けるような大きさのものは作れないし、脱臭剤をつけたぐらいでは、いざというときに活性炭が「活性」ではなくなるという。それくらいなら、まだ濡れ手ぬぐいのほうが、水溶性の有毒物質には効き目がある。とはいうものの、しょせんは気休めにすぎないそうだが……。
では、目の前に揮発性の毒物が置かれたらどうしたらいいか?
会議室に出ていたアドバイスは、「とにかく逃げるしかない」。原因となる物質を処理しようなどと思わず、なにはさておきても安全なところに逃げ出すこと。そうしたうえで、完全な装備をした専門家にあとの対処をゆだねるしかない、というのだ。
今回のテロは、まったく逃げ場のない満員の地下鉄で行われた。この点が、もっとも恐ろしい事実である。
発言したひとのなかには、事件の発生した車両の隣りに乗車したひとがいた。さいわい被害にはあわなかったが、衣服を焼却処分すべきかどうかの質問を寄せていた。「万全を期すならば処分したほうがいい」「重曹などアルカリ性水溶液で洗えばいい」などという意見が出ていたけれども、これほどの猛威をふるう物質が、簡単に合成できるものなのだろうか?
具体的な合成方法や、原材料となる物質名については、発言が自粛されていたようだ。この種のテロ行為でいちばんおそろしいのは、おなじような手口が連鎖反応的におこることであろう。それを考えれば、化学の専門家のおおいこのフォーラムが、サリン合成につながる情報の提示に慎重なのも、ひとつの見識とみていいだろう。
しかし、かつてアメリカでは「原爆の製造方法」に関する本が出版されたこともあるという。そして、「サリン製造の本」も実際にあったという発言も出ていた。
つまるところ、十分な専門知識のある者なら、合成を重ねることでサリンを製造できないことはないらしい。それを禁止するとなれば、さまざまな試薬の流通を管理しなければならず、現実問題として非常に困難な問題をともなうであろう。結局は、専門知識を持つ人間のモラルに訴えるしかない、ということになろうか。
それにしても、マスコミは無邪気に原材料や反応過程を報道しすぎる、という懸念がさかんに表明されていた。こうしたテロ事件をめぐる議論では、いつも最後はマスコミ批判となってしまうようだ。むろん、そうした責任は、おおくの場合報道側にあるのだ。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。