「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1996年5月号掲載
江下雅之
新聞やテレビで彗星の話題が大きく取り上げられたのは、おそらく10年前のハレー彗星以来のことだろう。日本人の発見した「百武(ひゃくたけ)彗星」は、雄大な尾を引く久々の大彗星として、天文ファン以外の話題にものぼった。地球に最接近した3月25〜26日には、高原や海岸の駐車場などで夜空を見上げる人たちの姿が目立ったという。
百武彗星は、ネットワークやマルチメディアが普及段階に入ってから出現した最初の大彗星でもある。NIFTY-Serve のスペースフォーラム(FSPACE)やインターネットのいくつかのサイトでのやりとりを見ると、天文という趣味の分野にあたらしい楽しみ方・活動の仕方が現れているようだ。
百武彗星(国際的な登録符合は 1996 B2)の話題が FSPACE の「【オンライン天文台1】彗星,流星,小惑星等」に登場したのは、2月上旬のことだった。なお、それ以前にデータが掲載されていた「百武彗星」は別の天体(1995 Y1)であり、話題の彗星は「第2百武彗星」と呼んで区別すべきかもしれない。
彗星の光度予測は難しい。観測データから光度式の係数を決定し、それに基づいた数値は計算できるが、彗星自体がまだ謎の多い天体であるため、予報とは異なる光度変化をすることが少なくない。ある時点から急激に明るくなることも珍しくはなし、反対に期待された彗星が空振りに終わることもままある。FSPACE でも2月の時点では「明るくなるのでは」との期待は多くのひとが表明していたものの、「せめて3等級ぐらいに」という控えめな意見も出されていた。それが3月半ばごろから、一大フィーバーとなったのである。
いまの20代の天文ファンは、これまで大彗星を見た経験がないのかもしれない。過去の経験法則では、明るい彗星はおおむね5年に1個の割合で出現していた。61年の関・ラインズ彗星、64年の池谷・関彗星、70年のベネット彗星、そして76年のウェスト彗星といったあたりは、肉眼でも楽に見え、天文ファン以外にも多くのひとが観望した彗星だ。
ところが、ウェスト彗星以降、天文写真やイラストでおなじみの雄大な尾を引く彗星は、とんとご無沙汰になってしまった。たしかに86年のハレー彗星は望遠鏡セールのネタにされたものだが、このときの回帰は観測条件が悪く、過大な期待から失望感を味わった人が多かったように思われる。
百武彗星のは、「控えめな期待」をはるかにうわまわる雄姿を見せてくれた。FSPACE では3月14日に「肉眼で見える!」というメッセージが発せられ、その後続々と「肉眼ではっきり確認」「よく見える」という報告も寄せられた。さらに数日経つと、「都心でも裸眼で確認」「横浜からも……」という発言が出た。「スピカ(注:おとめ座の一等星)と同じ明るさ」というレポートもあり、今回の彗星がただ者ではないとの雰囲気が一気に盛り上がった。全国各地の様子を即座に知ることができたのは、ひとえにネットワークのおかげだ。
ぼくもかつては天文少年だったので、百武彗星には人一倍興味があった。しかし住んでいるところは、なぜか夜は曇か雨ばかりで、彗星どころか星ひとつ見ることがかなわなかった。会議室では「見えた」「明るい」という発言が次々とあがる。しかも自分の家からそれほど遠くないところからの報告もあった。26日にはもうじっとしていられなくなり、雲が切れるところまでなんとか行ってみようと思った。会議室の発言によれば、埼玉や群馬は連日晴れ間が広がっているらしい。ぼくは国道16号線をとにかく北に向かったのである。
彗星の位置は、FSPACE の会議室にもキャラクタ・グラフィックスを利用した星図が登録されていたが、より正確な位置を知るために、海上保安庁のホームページ(http://www.jhd.go.jp)を覗いてみた。ここの水路部は天文年鑑でもおなじみのように、最も正確な星の位置情報を提供している。そして百武彗星用に作成されたホームページには、写真星図を用いた彗星の進路図が画像で提供されていた。
結局この日、彗星は開通したばかりの圏央道入間インター付近で目撃できた。高速道路走行中、車の窓越しに確認できた。すぐに最寄りのインターで高速をおり、なるべく暗い場所を探し、双眼鏡でしばし彗星見物をおこなった。
FSPACE のデータライブラリ「【画像】星の写真」は、天体写真が充実している。そして2月以降、百武彗星の画像も次々と登録された。数年前までなら月刊天文ガイドで一ヶ月前の姿を眺めるのがせいぜいだったのに、ネットワークのおかげで現在の状況を鮮明な画像で知ることができる。会議室の「見事な尾を引いていた」というメッセージも十分に刺激的ではあるが、北斗七星の柄杓よりも長大な尾を引く彗星をとらえた画像は、圧巻としかいいようがなかった。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。