「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1996年4月号掲載
江下雅之
4年前にフランス警視庁で滞在許可申請をおこなったとき、用紙に父の姓名、母の姓名および結婚前の姓を記入する欄があった。ぼくの両親は母方の姓を採用したため、母の現姓および旧姓はおなじになる。そこに担当官からのチェックがはいった。
フランスの制度では、結婚をすると女性側が自動的に男性側の姓を名乗り、結婚前の姓はいわゆるミドル・ネームの扱いになる。たとえばギヨームさん(女性)がデュポンさん(男性)と結婚すると、一般には「マダム・デュポン」と呼ばれ、国の発行する身分証明書上では「デュポン=ギヨーム」のようになる。子供の姓は男性側、この例でいえばデュポンだ。日本のように、結婚時にどちらかを選択できるというシステムではない。
だから、母親の現姓と結婚前の姓がおなじというのは、フランスの制度からいえばおかしいことになる。件の担当官は、ぼくが記入欄の意味を正しく理解していないと思ったのだろう。日本の制度を説明してすぐに納得してもらったが。
もっとも、女性側はミドル・ネーム扱いとはいっても「旧姓」を公的にも保持できる形式であるし、銀行口座名義も「旧姓」で維持できる。ぼくのカミさんがクレディ・リヨネ銀行パリ支店で口座を開設したときも、担当者はごく事務的に旧姓を名義に用いていた。社会生活面で見れば、事実上の夫婦別姓に近い扱いといえるだろう。
NIFTY-Serve の《渉外学習フォーラム(FLEARN)》の「女と男と社会」会議室で、夫婦別姓に関する意見交換がさかんにおこなわれている。しかし、このテーマについては、どうも趣味の違い、あるいは家族や社会に対する認識のズレが前面に出てしまい、話がすれ違いになりがちなように思われる。
別姓反対の立場からは、家族としてのアイデンティティ維持、それほど実利的なメリットをともなわない制度改革の不合理さが指摘されている。「それほど配偶者の姓を名乗るのがいやか?」「郵便物や宅配便の配達人に余計な手間がかかりはた迷惑だ」「電話がかかってきたとき、どちらの姓で応えるのか?」「道順を説明するとき、表札に出ている名前が増えると○○さんのお宅を右に……などと言えなくなる」等々。
むろん、個々の問題提起や疑問点に対し、別姓賛成派からの反論がある。実際に別姓を実践している人から、まったく問題はないとの指摘もある。「長年慣れ親しんだ姓を名乗りたい」「二世代同居家族などは異なる姓が混在している場合もあるが、配達人が困ることはないし、電話でも受け答えもなんら面倒はない」等々。そして、「姓が変わると引っ越し後の連絡先探しに苦労する」「電話などでは旧姓で呼び出さないと、うっかりいないと判断されてしまう」など、夫婦同姓の問題も提示されている。
このようなすれ違いは、置かれている状況や価値観によって見方がかわるから生じるにすぎない。バターが半分残っている状況を、「半分も残っている」と判断するか、「半分しか残っていない」と判断するかの違い、と断じるのは言い過ぎかもしれないが。
夫婦同姓という状況(すなわち現状)に馴れ、それになんら不都合を感じていない者であれば、あえてそれを変える制度は不合理でしかないだろう。ところが、なんらかの問題点を感じていたり、夫婦の姓に関する社会通念が変化したと考えている者には、制度を変えるべき段階であると感じるだろう。おなじ問題点に対しても、一方は「わざわざしなければならない」と否定的にとらえ、他方は「こうすればいい」と肯定的に判断するわけだ。
韓国や中国のように、夫婦別姓の国はある。そこの家族にはいうまでもなく家族としてのアイデンティティがあり、電話や配達でも「夫婦別姓だからはた迷惑」ということはない。そして会議室で別姓反対の立場をとる人からも、夫婦別姓はそれはそれで成り立つ規範であることが認められている。この場合、反対派は「同様に成り立つはずの規範である夫婦同姓」をなぜ変更しなければならないのか、という問題提起になるわけだ。
個別事例すべてについてそのような見解の相違が生じるのであるから、利点・欠点を指摘しあう方向は、かみあわなくて当然となるだろう。同姓(であることから得られる一体感)がだいじであると考える人にとっては、どう考えても夫婦同姓が当然の規範であるという結論しか出てこないだろう。それと同様に、自分の生まれついての姓を尊重したい人にとっては、夫婦別姓は基本的人権の一つと考えられ、なぜそれが尊重されないのか、理解してもらえないのか、という結論に至るはずだ。
ぼく個人の意見としては、民法改正で考えられている夫婦別姓が同姓を排除するものではない、つまり、夫婦の選択肢が増える方向にある以上、別姓を支持する立場を取りたい。現実問題として、姓を変更することによる諸々の手続きの煩雑さその他の理由もあるのだが、むろんそれは別姓反対派にすれば、たいした問題ではないとされることなのだろうが。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。