「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年7月号掲載
江下雅之
フォーラムによっては、通称「壁」とよばれる会議室が置かれている。たとえばニフティサーブの《SFファンタジー・グローバル館》(FSF1)の11番会議室、《モデム&移動体通信フォーラム》(FMODEM)の20番会議室だ。後者にはそのものずばり、「white wall」という名がつけられている。
特徴は、まずけた違いに発言数が多いことだ。一日に百以上の発言はあたりまえで、千近くに達することもある。
ニフティの電子会議室の仕様では、最大でも同時に999発言までしか収納できない。「壁」では2、3日でこのレベルに達してしまうことがある。一週間先の発言を読めなくなるのは普通だ。
連続発言もおおい。以前、FMODEM の発言状況を調べたことがある。そのとき、個人による連続発言の最大値は70だった。画面上で発言タイトル一覧を見ると、およそ3画面分にもわたって、おなじ ID が並んでいるわけだ。
個々の発言がきわめて短いのも特徴的だ。ほとんどの発言が十行以内である。その半分は他の発言の引用であることが多いし、文末の署名をのぞけば、実質1、2行のみというメッセージが少なくない。それどころか、長い発言はしばしば非難される。
そしてもう一つ、「壁」参加者のおおくがパソコン通信に慣れており、「壁」での行動を、情報交換ではなく息抜きや気晴らしと割り切っている傾向が強い。
会議室の物語には、どうやら二通りの種類がありそうだ。これまで本連載で取り上げてきたものは、いずれも基本的に活字メディアとおなじような枠組みだ。文字で記述された内容に意味があって、読者はそれを読み、感情が動かされる。
その一方、反応それ自体が物語を形成する場合もあるのだ。これは、文字によるコミュニケーションといっても、ネットワーク通信ならではのものであり、「壁」会議室に特有の文脈なのだ。
次の会話を考えてみよう。
「お母さん、ボクはどうしてお母さんから生まれたの?」
「あら、だって、お父さんから生まれたら、おかしいでしょ」
「あ、そうか」
(出典:青土社『行為の代数学』大澤真幸著)
この会話には、交わされる情報や意味といったたぐいが存在しない。あくまでも会話という行為をつうじた自己確認がおこなわれているだけだ。そして、「壁」でいとなまれている物語は、まさしくこのような行為の連続だ。
相手の発言を引用して「それは変ですネ」というコメントをつける。別の者がこの一行を引用し、「やっぱり(^_^;)」というコメントを返す。コメントを返された方がまたこの一行を引用し、「当然でしょ(^_^)」というコメントをつける。
このような応酬が続くのだ。
もしも「壁」でのやりとりを「物語には記述された内容自体に意味がある」という視点で眺めれば、不毛なメッセージの連続としか思えないだろう。にもかかわらず、おおくの参加者がこのようなやりとりを楽しんでいるのだ。
これはおそらく、彼らにとっての物語は、記述されている内容ではなく、反応でつくりあげられているからだろう。反応を返すこと、反応を受け取ることで、自分というものを確認するのだ。
以前、ひょうんなことから《本と雑誌フォーラム》に「壁」会議室の常連がやってきたが、当然ながらそこのメンバーとのあいだでいざこざが生じた。方や「内容のないコメントはつけるな」と主張し、方や「長ったらしい発言ばかりでうんざりだ」と主張する。これなどは、物語の演じ方の違いによるすれ違いといっていいだろう。
考えてみれば、料理にだって味わい方はさまざまだ。白魚の踊り食い、蕎麦、カレー、みな「味わい方=リテラシー」が異なる。白魚の踊りには歯ごたえを楽しむという味わい方、蕎麦には喉越しの余韻を楽しむ味わい方、カレーには舌先でスパイスのハーモニーを楽しむ味わい方がある。カレーの要領で白魚の踊りを食おうとしたら、口の中がパニックになるだけだろう。
「壁物語」には、記述された内容を読むというリテラシーは通用しない。どういう内容があるか、ではなく、どういう反応が生じるか、に注目しなければいけないのだ。
「壁」のような物語は、せいぜい10人程度の間でかわされるものだ。こういう活動形態がニフティのような有料ネットの、それも公開フォーラムで今後も成立するかどうかは多少の疑問がある。形態的に参加者数が限定されるため、コスト的な問題が問われると考えられるからだ。
とはいえ、「文字情報を用いながら、じつはことばではなく行為(反応)が物語を形成する」という現象は、ネットワーク固有の現象として注目していいだろう。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。