ネットワークの《物語》を読む(6)
こどもの遊びから文化を眺める
――えんがちょ! 指切った!――

「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年8月号掲載
江下雅之

「でーぶ、でーぶ、百貫でーぶ、電車にひかれてぺっちゃんこ!」
 いまどきの小学生は、こんなことをいうのだろうか?
 ぼくが小学校低学年ぐらいだったころ(昭和40年代初頭)は、悪ガキどもがムキになってこういう悪口をいいあっていたものだ。
 ほかにも例はいくらでもある。
「みっちゃんみちみちうんこして、紙がないから手で拭いて、もったいないからなめちゃった」
「ばーか、かーば、チンドン屋、おまえのかーちゃん、でーべーそ」
 こういう他愛もない風俗的現象を、学術的なテーマとして扱っているフォーラムがある。ニフティサーブの「現代文化研究フォーラム」(FBUNKA)だ。シスオペは著名な社会学者の加藤秀俊氏(ハンドル名「ご隠居」)が務めている。
 このフォーラムに、「玩具と遊戯」会議室がオープンした。もともとは別の会議室で、子供のおもちゃについての話題が続いていた。そして子供の遊びに関する話題をひっくるめて扱おう、ということで独立した。冒頭の悪口も、この会議室で扱われているテーマだ。
 遊びにしても悪口にしても、世代や地方によっておおきく異なる。おなじあそびにしても名称が違っていたり、こまかなルールが一致していない場合もおおい。社会学や民俗学の専門家にとっては、記録として残すだけでもおおきな意義のあるテーマだ。そして会議室の一般読者にとっても、自分の身近な遊びがじつは狭い地域に固有のものであったり、あるいはずっと古くから伝承されてきたことを知ることができる。ついつい参加してみたくなる会議室だ。
 シスオペ「ご隠居」によれば、前述の例は昭和10年代でもすでにあったそうだ。残念ながら現在でも子供たちが、そういうかどうかは報告されていなかった。それでもぼくらの世代はさんざんはやしたてるのに用いていたのだから、少なくとも30年以上も伝承されたことがわかる。しかも、ほぼ全国規模でだ。
 その一方、「えんがちょ」はかなり地域差があるようだ。会議室での報告によると、近畿地方ではまったくいわれていなかったそうだ。これはぼくの経験からも事実で、学生時代、関西出身者は「『えんがちょ』って、なんや?」と尋ねていたものだった。
 念のために説明すると、まず誰かが汚いものを踏んだりさわったとする。イヌの糞を踏んだとか、ハナクソをほじくった、といった程度のことでいい。
 汚いものをさわった者が誰かに「タッチ」すると、汚さが移るというのが約束事だ。それに対して「えんがちょ! 指切った!」と言えば、タッチを防ぐことができる。だから動作の鈍い子供がばっちいことをすると、とたんに周囲は「えんがちょ!」の声で埋まる。このときみんなは、両方の手の人差し指と親指で輪をつくり、それを鎖のようにつなげる。
 逆にこれが俊敏な子供だと、たいていは気の弱い女の子にすぐタッチする。その周りを悪ガキが「えんがちょ!」といって騒ぎ、次第に女の子がベソをかきはじめ、気の強い女の子が「先生にいいつけるからねっ!」と叫ぶというのがひとつのパターンだ。
 北海道の一部地域では、やること、約束事はおなじだが、「えんがちょ」ではなく「カギかった」といったのだそうだ。東北の一部でもそうらしい。「みっちゅ」といった地方もあるそうだ。
 そして、指の組み方が違う地方もあるらしい。指で輪をつくるのではなく、中指に人差し指を重ねるのだという。はたしていまの小学生たちは、こういう風習も伝承しているのだろうか。
 こういう悪口や仕草だけでなく、いろいろなつかしい遊びの報告も会議室ではなされている。ビー玉、はないちもんめ、じゃんけん、ザリガニとりなどだ。
 地面文化、舗装文化、画面文化という切り口が興味深かった。
 ぼくの世代は、子供の遊びの転換期を経験しているように思う。まだかろうじて東京や横浜でも森や田圃が残っていたが、次々と宅地造成されていった。藤子不二夫の漫画に出てくるような「土管のある広場」がギリギリ残っていた。道は徐々に舗装が進んでいた。だから、地面に穴をあけたビー玉遊びは、経験したとしてもまだ物心がつく前だっただろう。むしろ、舗装道路に白墨で線を引いて、石ケリ(ケンパ)などをやったものだ。
 ぼくが住んでいたところは、横浜駅西口から徒歩わずか5分ほどのところだった。それでも小学生当時、丘の上にはまだ田圃が残っていて、ザリガニとりができた。釣り糸でスルメの足をくくりつけ、それを枝に結びつける。田圃のわきでそれをたらすと、小さなザリガニがとれる。こんどはそのザリガニの尻尾をちぎってエサにして、大物をつかまえようというわけだ。
 こういう懐かしい話題が、会議室に満載されている。おそらく30代ぐらいの読者は、ついつい夢中になってしまうのではないか。
 街中ではすでに地面はほとんどなくなった。舗装道路であそぶには、交通量が多すぎる。そしていまの子供たちは、地面でもなく、舗装道路でもなく、ファミコンの画面で遊ぶというわけだ。
 なにで遊ぶかはその時代の環境がかなりの部分を規定するだろう。画面で遊ぶ子供をどうこういうことはできない。しかし、われらの遊びは、はたして伝承されているのだろうか。もし途絶えたとしたら、いつごろが転換期だったのだろうか。現代文化研究フォーラムのログを読んでいると、こういうことがやたらと気になってくる。


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内容目次

■ネットワーク・バトル・レポート
  1. 無責任なオーディエンス
  2. 袋叩きの構図
  3. 「善意の問題児」のナルシシズム
  4. 気弱で無口なひとほどが暴言を吐くのか?
  5. 実名主義は「暴言」を抑止するか?
  6. 常連メンバーの「権威」
  7. 相手は「本人」? それとも……
  8. 社会「幻想」と除名
■ネットワークの《物語》を読む
  1. 都市伝説
  2. 小説よりも奇なり
  3. 毒ガス
  4. 教育の「意味」論と「方法」論のギャップ
  5. 反応の物語性
  6. こどもの遊びから文化を眺める
  7. なぜフランスは核実験を再開するのか?
  8. 捕鯨反対への素朴な疑問
  9. 小説の小道具講座
  10. 国際ネットワーク通信の時代
  11. 書籍の再販価格制問題
  12. 漫画の原作はどう作るか?
  13. 夫婦別姓問題
  14. オンラインの世界での百武彗星フィーバー
  15. 蛇使い座の割り込み
  16. 近親相姦はなぜタブーなのか?
  17. カフェの作法
  18. 女の自立
■オピニオン
  1. 異文化交流の舞台
  2. ますます広がる官公庁関係コンテンツの差
  3. どこまで枯れていけるのか

ネットピア

月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。


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