オピニオン(3)2001年のインターネット
どこまで枯れていけるのか

「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年12月号掲載
江下雅之

ベルギーの誘拐シンジケート

 いまベルギーではデュトルー事件が社会問題化している。小児愛嗜好者マーク・デュトルーのアジトから、餓死した少女二人の遺体が発見されたのが、96年8月のことだった。ベルギー版「恐怖の館」の様子は日本でも報道されたが、捜査が進むにしたがって、さらに多数の少女たちが被害者になっていることが判明した。そしてデュトルーが少女誘拐組織の首領各であり、警官がその組織に多数加わっていたことが判明したのだ。
 とある雑誌で、この事件の詳細について書くことになった。フランスのラジオでも事件の経緯についてはかなり報道されていた。ブリュッセルで生じた抗議デモの余波は、鉄道路線のつながるパリにも及んでいたのだ。ところが、事件の詳細や、なぜ個人の犯罪に抗議でもまで起きるのかが、いまひとつわからなかった。ラジオでは事実関係を中心に報道していたため、具体的な背景や関連事項が見えない。
 情報収集のために、まずはインターネットの検索エンジンにアクセスし、「小児愛(pedophilia)」で調べてみた。Yahoo!でもExciteでも膨大な数がヒットしたものの、そのほとんどがネットワーク上の少女ポルトに関するホームページだった。
 こんどはCompuServeにアクセスする。ここにはフランスの高級紙ル・モンドの全文データベースが提供されている。フリーワードで検索できるので、ここでも小児愛(pedophilie)で検索をかけてみた。こんどは数件の記事がヒットした。タイトルを表示させると、いずれも「Dutroux」という、この事件の犯人名が含まれている。さっそくすべての関連記事をダウンロードしてみたところ、事件の後半の経緯がわかった。また、最近のデモはいずれも事件の担当検事Connerotte氏に関連することもわかった。
 ふたたびインターネットの検索エンジンにアクセスし、こんどは「Dutroux」「Connerotte」という固有名詞で検索した。結果、それぞれ数十件のサイトが見つかった。そのなかには、AFP、アイルランド新聞、中央ヨーロッパ情報サービスなど、事件の経緯をかなり詳細に報道したところが含まれていた。CompuServeとインターネットを駆使した結果、正味2時間ほどで200KB以上の資料が集まった。こうしてパリにいたまま、ベルギーの事件について日本の雑誌に原稿を書く、ということが実行できた。

検索テクニック

 インターネットは多様だというが、これは自分が直接必要とするもの以外のものが、無数に存在することでもある。遊びとしてあちこちのホームページやニューズグループを眺めるのはひとつの利用方法ではある。しかし、なにか目的を持って、それに適合した内容を探すとなると、いろいろな「知恵」が必要だ。
 インターネットに流通している内容の多くは、「情報」ではなく「意見」がおおい。事実を確認しようとすると、新聞社、通信社、政府関係機関のサイトに依存するしかない。また、検索エンジンを利用するときには、どういう検索語を選択するかという問題もある。これは商用オンライン・データベースもおなじだ。
 検索の方法には、大きくわけてフリーワードとキーワードの二通りがある。フリーワード方式は手軽に実行できるかわりに、検索結果にバラツキが生じやすい。むかしヨーロッパの「エスプリ計画」について調べようとして「エスプリ」で検索したら、結果の半分はスポーツカーのロータス・エスプリに関する記事だった。その点キーワード検索なら、きちんと分類された内容を一網打尽にできる。問題は適切なキーワードを選ばないと、まったくのスカをつかまされることだ。
 ぼくはまずフリーワードで検索し、その結果からキーワードを抽出し、こんどはキーワードで検索し、さらにことばを選んで再度フリーワードで検索し……といった試行錯誤をおこなっている。年中データベースを利用しているならともかく、たまに利用する程度ならこういう方法が結果的にいちばん効率的だと思われる。

ジャンクの海 ――タダの情報の良し悪し

 これまでの経験から間違いなくいえることは、インターネットの検索エンジンだけですべて事足りることは、まずないといっていい。ここでヘタに苦労するよりも、有料のオンライン・データベースを併用したほうが、はるかに効果的な情報収集ができる。
 だいたい有益な情報というものは、元来が有料であるはずなのだ。逆にいえば、タダの情報というのは、実用性が低いか、スポンサーがついているかのどちらかだ。新聞社などがホームページで提供している記事も、おおくはサワリ程度の内容であることがおおい。内容の充実度や検索効率を求めるなら、やはり商用オンライン・データベースが必要だ。その点、CompuServeは世界中のおもな新聞やジャーナル誌を検索できるし、フルテキストも入手可能だ。
 問題は、こうしたデータベースが決して安くはない点だ。ル・モンドにしても記事一件について2.9ドルもかかってしまう。これでは数を集められない。
 そこで補完的にインターネットで情報を集めるわけだ。一件一件はサワリ程度の情報でも、地道にサイトを探し回れば、たいそうな量のデータが集まる。今回のデュトルー事件についても、ベルギーの出来事ではあったが、アイルランド、スロバキア、カナダ、フランス、オランダなどのマスコミが、かなりの数の記事を公開していた。ひとつずつは2画面分程度の量であるが、寄せ集めるとかなりのボリュームになる。しかも報道の重点がかなり違っていたので、全体としては相当な情報量だ。
 アイルランドの新聞は事件の前半について詳細な事実関係を伝え、スロバキアの新聞はデュトルーが国外に連れ出し、ベルギーで麻薬漬けにした少女たちの件を報道していた。フランスのサイトにはICPO(国際警察機構、本部パリ)の情報を知らせるところもあった。
 ただし、各国のホームページを利用するときには、ことばの問題がある。東欧や中欧のマスコミは英語による情報提供に熱心であるが、オランダ語圏、ドイツ語圏になると、細かな内容になるほどそれぞれの母語でしか提供されていない。こればっかりは相手が行為で提供してくれているので、文句をいうわけにはいかないのだが……。

ダイナミズムと不安感

 以前、検索エンジンの優秀さをさかんに誉めていたライター仲間に、それほど使いものにはならないのではないか、という疑問を表明したことがある。かつて「ギロチン」の画像を得ようと思ってあれこれ検索してみたものの、ヒットするのは商品名が「ギロチン」というシュレッダーの紹介ばかりだった。彼も実際に挑戦してくれたのだが、案外と難問であった、と告白していた。
 しかし彼に言わせると、検索エンジンはどんどん補強され、一週間単位で状況がまったく変わるという。インターネットというダイナミックな世界なら、検索の対象になる情報源は時々刻々増加しているだろう。また、検索エンジンによってかなり得意・不得意があるので、検索を実行する時期とエンジンを変えれば、そらだけでまったく異なる結果が得られるとも指摘していた。
 インターネットの最大の魅力と最大の欠点は、このダイナミズムにあるといっていい。次々とあたらしい知識が発生してく状態は、クリエイティブな人間を間違いなく刺激するだろう。いままでとても入手できなかった情報が、簡単に手に入るようになったのも事実だ。その範囲が拡大すれば、ますます魅力的になりこそすれ、困ったことはないように思われる。
 しかし、情報収集でいちばん困るのは、あるのかないのかがわからない状態だ。なにか情報を集め、それをもとに記事なりレポートなりを作成しようとするときは、それなりの作業手順がある。情報収集はいわば出発点であり、その内容が時期を待てばどんどん追加されるというのは、痛しかゆしといっていい。日常の単なる話題にするだけならともかく、時間とコストをかけて原稿を作成するようなときは、情報の変化がかえって不安をもたらすものだ。その点、インターネットで安心して確実に利用できるのは、いまのところアメリカの公共サイトぐらいといっていいかもしれない。

どうやって枯れていくか

 テレビ放送を見るのに特別なテクニックが必要だったら、テレビは現在のようなビッグ・ビジネスにはなっていないだろう。空から電波が降ってきて(最近では地を這ってくる電波もあるが)、部屋にある端子にケーブルをつないで、あとはリモコンでチャンネルを指定するだけ――ここまで単純化された姿だからこそ、誰でも手軽に接することが可能なわけだ。
 インターネットはその点まだまだ敷居が高い。使いこなすのに「技」が必要だ。それもコマンド操作といった技術的なことではなく、情報を臨機応変に手繰り寄せる「知恵」が要求される。
 それだけの必然性がある人は、頑張って検索術・利用術に磨きをかければいい。インターネットはもはや「使えるかどうか」ではなく、「どうやって使うか」という段階にあるのだから。
 しかし、すべての人が情報を収集する必然性を持っているわけではない。ニッポンはとくにマスメディアが発達している。情報はだまっていてもいやというほど飛び込んでくる。「本当にほしい情報は案外とない」などといわれるが、実際にはありあまる情報に、麻痺が麻痺しているだけのことなのではないか。
 技術的な可能性を探ったり、クリエイティブな試行錯誤をするのであれば、変化はあればあるほど、大きければ大きいほどいい。しかし、一般人が安心して利用するには、それらが枯れて、どこか落としどころに軟着陸することが不可欠だ。
 使い方次第で、インターネットは実に強力な情報収集や自己実現の手段となる。しかし、本当の意味でインターネットが普及するためには、「使い方次第」という動的な部分が枯れる必要があるのだ。なんでもできる自由な状態は、同時になにをやっていいのかが見えない不自由な状態でもある。検索テクニックといったことでこのように記事が書けてしまうことは、インターネットの世界がまだ枯れるにはほど遠いことを示しているかもしれない。


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内容目次

■ネットワーク・バトル・レポート
  1. 無責任なオーディエンス
  2. 袋叩きの構図
  3. 「善意の問題児」のナルシシズム
  4. 気弱で無口なひとほどが暴言を吐くのか?
  5. 実名主義は「暴言」を抑止するか?
  6. 常連メンバーの「権威」
  7. 相手は「本人」? それとも……
  8. 社会「幻想」と除名
■ネットワークの《物語》を読む
  1. 都市伝説
  2. 小説よりも奇なり
  3. 毒ガス
  4. 教育の「意味」論と「方法」論のギャップ
  5. 反応の物語性
  6. こどもの遊びから文化を眺める
  7. なぜフランスは核実験を再開するのか?
  8. 捕鯨反対への素朴な疑問
  9. 小説の小道具講座
  10. 国際ネットワーク通信の時代
  11. 書籍の再販価格制問題
  12. 漫画の原作はどう作るか?
  13. 夫婦別姓問題
  14. オンラインの世界での百武彗星フィーバー
  15. 蛇使い座の割り込み
  16. 近親相姦はなぜタブーなのか?
  17. カフェの作法
  18. 女の自立
■オピニオン
  1. 異文化交流の舞台
  2. ますます広がる官公庁関係コンテンツの差
  3. どこまで枯れていけるのか

ネットピア

月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。


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