「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年3月号掲載
江下雅之
うわさを「もっとも古いメディア」と表現したのは、フランスの社会学者、ジャン=ノエル・カプフェレだった。彼は著書『うわさ』(法政大学出版局、1988)のなかで、「都市伝説」や「教訓話」などのプロセスや役割などを細かく分析した。うわさが非公式の場から出る情報であること、ときとして真実であるがゆえに「うわさ」が広がること、メディアが「うわさの情報化」をおこない、その流布に大きな影響を及ぼすなどの結論を導いている。
いわゆる『都市伝説』は、うわさが神話として定着したものだ。
かなり有名な例として、某ハンバーガー・チェーンが猫の肉やミミズを使っていた、という話しがあるだろう。また、「とあるブティックの試着室で、若い女性観光客が忽然と姿を消した。そして数年後、売春宿でその女性が発見された」という「神話」も多くのかたがご存じだと思う。
ぼく自身、ハンバーガーのはなしは二十年ちかくまえいとこから聞いた。試着室のはなしも、十年以上前に友人から聞いたことがある。たしか香港のブティックの出来事、ということだった。
その後、誰かが同じ話しをするたびに、「あ、おれも聞いたことがある」なんて答えるわけだから、これからもおそらく「民間伝承」として語り継がれるのだろう。
ちなみに、カプフェレの調べによれば、試着室「伝説」は一九六六年にフランスのルーアンにあるブティックを対象にして流れ始めたそうだ。その三年後にはオルレアンで再現されたという。
最近では、ペットボトルが「あたらしい『都市伝説』か?」と話題になった。とくに、ニフティが NHK と共同でそのアンケート調査をおこなったので、ネットワーカーにもなじみのあるエピソードでもあろう。
いったい、これまでにどんな「うわさ」や「都市伝説」があったのか? そんな話題を扱っているのが、ニフティのジャーナル・オンライン・ネットワーク(FJON)の13番「うわさの会議室」だ。
また、現代思想フォーラム(FSHISO)でも、臨時会議室「現代伝説研究会」が九四年末まで開設されていた。発言は同フォーラムの一番ライブラリーにて公開されている(326および327)。ここでは主にこちらを紹介してみよう。
現代思想フォーラムで紹介されている「伝説」の多くは、おもわず「聞いた聞いたそれ!」とうなずきたくなってしまう。しかも、折にふれてパターンなどが分析されているので、数百もある発言の山ではあるが、ついつい最後まで読み通してしまう。ここはみなさんにも、ぜひご一読いただきたい。
紹介された「伝説」をいくつか紹介してみよう。
事故や自殺に関する「幽霊ばなし」が全国各地にあるようだ。貯水池での水死体、バックミラーにうつる交通事故の死者の血など、かなりの具体性を持った話しが紹介されている。そのうちのいくつかは、ぼくも聞いたことがあった。
「常人にはできないバイト」にまつわる数々の伝説の、ひとつお馴染みのパターンだ。死体洗いなどはその典型だろう。いまでも学生のあいだでは、「死体洗いがすごく儲かるんだって?」なんて会話が交わされていることだろうか。
肉に関するうわさも多い。先のハンバーガー以外に、某牛丼チェーンの牛肉が実は……という話題だ。どうやら肉をあつかうチェーン店は、うわさの標的になりやすいようだ。
就職に関する武勇伝も、かなり伝統的なうわさネタであろう。とくに就職状況に厳しいここ二、三年は、あらたな「伝説」を生み出しているようだ。
この種のもので最も有名なのは、「男は黙ってサッポロビール!」と最後にひとことだけいったら採用になった、というものだろう。ぼくがこのはなしを最初に聞いたのは、二十年前のラジオの深夜放送パック・イン・ミュージックだった。CMの時期といい、おそらくそれが発端になったのではないか。
「街の変わり者」というパターンもかなり多い。一番有名な例は「口裂け女」だろうか。マントをはおった露出魔なども、この種のうわさでは定番であろう。
これが東京を舞台としたものになると、「あのホームレスは、実は……」という「都市伝説」を生み出す。かつての尾崎豊がそうであったし、最近ではアイルトン・セナも登場するらしい。
ところで、ニフティのログのなかで、「横浜の女性で、顔は真っ白に化粧し、服も白いワンピース」という「都市伝説」が紹介されていた。誰もコメントはしていなかったが、この女性は実在する。横浜では有名人で、ぼくも高校生のとき、ダイヤモンド地下街で三度ほどすれ違ったこともある。タウン誌でも写真入りで紹介されたこともある。これは事実であると伝えておこう。
もっとも、カプフェレの分析によれば、非公式の筋が「事実」と伝えることによって、うわさはますます根強く流布されるのだそうだが。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。