「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年11月号掲載
江下雅之
データベースが役に立つようになるまでには、20年はデータの蓄積が必要である。けれどもそれまで、データベース管理責任者は、さんざん「無駄メシ食い」だの「役立たず」だのという罵倒に耐えなければいけない――これはデータベース事業のコンサルティングをやっている者から聞いた話だ。
情報にはフローとストックとがある。どちらも用途によって必要な場面がある。5分前の為替相場はディーラーにとって不可欠な情報だし、過去10年の為替相場の変動もエコノミストには貴重なデータだ。また、ある人にとってフローでは役に立たないクズネタでも、ストックで威力を発揮する例はいくらでもある。読み捨てのはずの大衆週刊誌を集めた大宅文庫がジャーナリストに必須なのは、その典型的な例といっていい。
情報システムとしてのインターネットが威力を発揮するのは、むしろストックの部分ではないかと思う。
現在、ネットワークの最大の利点として、情報が即座に得られることが強調されがちだ。新聞なら一日、週刊誌なら一週間のタイムラグが確実に発生する。テレビやラジオなどの電波なら速報性が高いけれども、情報の発信には大規模な設備投資が必要になる。その点インターネットなら、個人で即座に新聞や週刊誌なみのボリュームの情報を発信できる。
発信側の都合からすれば、たしかにリアルタイムで情報を発信できることは、インターネットのおおきな利点だ。しかし、受信側からしてみれば、情報を入手できるのはアクセスした段階である。ネットワークに接続し、URLを指定する。こうした手続きを経て、ようやく情報に到達できる。
電波が空から降ってくる放送にくらべたら、かなり面倒くさい。おまけにURLは無数にある。発信源が増えれば増えるほど、皮肉なことに受信側は受信できない情報も増大する。より多くの人が共通して必要な情報は、やはりメスメディアに依存せざるをえない。むろんミニコミ的な規模であれば、インターネットの利点は十分にある。もっともこれだと、受信者も発信者も特定のグループ内だけでの情報交換にとどまってしまうわけだが。
インターネットの「速さ」は、むしろ移動せずにいろいろな資料を集められる点に強く発揮されるのではないか。日本にいても世界中の情報が手に入る。それが5年前のレポートでも構わない、ということも多いはず。
データだから保管の場所をとらない。ネットワークだから頒布するのにコストがそれほどかからない。インターネットほど情報のストックと、ストックした情報の流通に適した仕組みはない。ところがいまのところ、この面でもアメリカと日本との差は開きすぎている。そのことは、官公庁の情報を入手しようとするとき、いやというほど思い知らされるだろう。
アメリカはケネディ政権時代にデータベースの整備をはじめた。旧ソ連からこうむったスプートニク・ショックが契機になったという。科学技術振興のために、まずは文献データベースの整備が進められ、COMPENDEX のような膨大なファイルが作成された。
データベース産業は大別するとプロデューサとベンダーの二種類ある。プロデューサはコストがかかるため、新聞社や出版社など、本来のコンテンツの副産物を利用できるところぐらいしか成立しない。だから国がどれだけのカネをかけられるかが、データベースの充実に直接反映される。
その後もアメリカは博士論文のデータベース化を義務づけたり、政府が出資した研究のレポートを商務省の NTISデータベースに収録するよう義務づけたり、電子化された情報のストックを進めた。
そして現在、インターネットにはアメリカの公的機関が作成した膨大な情報が流通している。
それに比べてニッポンはどうなのか。官公庁も続々とホームページを立ち上げているが、蓄積されている情報はアメリカに比べれば微々たるものだ。情報がないのなら仕方がない。しかし日本の官公庁は、膨大な統計データ、審議会資料、研究レポートを持っている。それらの多くは公開されてはいるが、媒体は紙だ。そもそも電子的な形態で情報を蓄積しようと思ったら、情報の作成作業自体からデジタル・テキスト化を前提に再構築しなければならない。
情報のストックには、トランプ・ゲームの「大貧民」に似たメカニズムが成立する。有益な情報がストックされていると、さらに有益な情報がそこから生まれ、蓄積がまた増える。ストックの乏しいところは、乏しいがゆえに利用もされず、利用されないがためにますます乏しくなっていく。
こうした差が21世紀にはさらに際だっているような気がしてならない。国も自治体も外郭団体も、いまこそ強い危機意識を持って、情報のストックを心がけるべきだ。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。