「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1996年8月号掲載
江下雅之
日本の喫茶店での作法――まずは店に入って席に着く。ウェイターかウェイトレスが水を持ってくる。テーブルにメニューがなければ、それも一緒に。おしぼりを持ってきてくれるところもある。客は水をひとすすり。すこし間をあけてから、注文と取りにきたウェイトレスさんに「コーヒーひとつ」とか告げる。3分以内には注文品が伝票と一緒にやってくる。店を出るときには、客が伝票をレジまで持参して支払う――。
カフェ文化の国フランスでは、少し違うプロトコルが必要だ。
店に入って席に着く。これは同じ。ただし冬以外は店に入らなくても、道に席が置かれている。勝手に座った席までギャルソンがやってくるのは同じだが、水は持ってきてくれない。もちろんおしぼりもなし。いきなり注文を取るので、メニューを見たければ要求する必要あり。たいていはテーブルに置いてある。
だいたい3分ぐらいで注文品が伝票と一緒にやってくる。ただし、支払いはレジではおこなわない。適当な折を見計らって、テーブルに金を置いておく。ギャルソンは店の中を巡回しているので、金を見つけたときにはすぐに回収にやってくる。忙しいときはなかなかやって来ず、客の方でやきもきすることがある。
以上が決まった型だが、NIFTY-Serve 外国語フォーラム・ロマンス語派分館のフランス語会議室では、パリのカフェでの支払いについて、いろいろな事例が報告された。話題の口火を切ったのは、パリ在住のメンバーによる次の発言である。
「ギャルソンが飲み物を持ってきと思ったら、その場ですぐに『44フランです』と言った」
こういうパターンはたしかに例外的だ。たまたま急いでいるときは好都合だが、すぐに支払いたいときは、普通は客の方から催促する。ちょっと気取った呼び方は、ギャルソンと目があったときに、右手の人差し指をぴんとたてること。フランス人は挙手のかわりに人差し指を立てる習慣がある。目があったときにこれをすれば、相手を呼ぶ合図になるわけだ。ただし、カフェではテーブルによってギャルソンの縄張りが決まっているので、呼ぶ相手はかならず注文を取りに来た者にすること。でないと無視されるだけだ。
会議室で話題に加わったメンバーの一人は、左手の平に字を書く真似をしたそうだ。これは万国共通の「お勘定」のサインで、たしかにフランスでもたいていは通じる。札を繰るしぐさも同様だ。
なんにせよ、こちらから呼ばない限りは、勘定を取りにこない。だからのんびりくつろげていい、というのがパリのカフェ愛好者の感想だ。ギャルソンと目があわないと呼びもできない。なじみの店とか悠長なところなら、お金を置いて勝手に出ていくという方法もあるのだが、観光客にはちょっとためらわれるだろう。
こういう状況であるから、飲み物を持ってこれらたときに勘定まで求められるのは、カフェ馴れした人にはかえって意表を突くことだ。深夜ならギャルソンの方から督促にまわることが多い。オペラ座やシャンゼリゼにある観光カフェなら、食い逃げ防止目的で、というところもある。それでも飲み物と一緒という例は少ないので、わざわざ会議室に報告があったわけだ。おそらくギャルソンが勤務交代の時間で、チップをきっちりと回収するためだったと思われるが。
ところで、お勘定を頼むときの決まり文句が「L'addition, s'il vous plait.」(音は「ラディシオン・シルブプレ」)なのだが、「L'addition」というときの口の動きが、日本語の「お勘定」に似ている。だからカフェやレストランで「お勘定」という口の動きをすると、ちゃんと通じることがある。これに札を数える仕草を加えれば、まず意図は理解してもらえるだろう。
フランスのカフェでカフェ・オ・レを、という光景は映画でもおなじみだ。ちょっとありきたりすぎるという人にオススメなのが、アンフュージオン infusion――ハーブティーだ。カフェはべつにコーヒー専門店ではないので、たいていのところには置いてある。冷たい飲み物がいいのなら、ペリエはいかが? ガス入りのミネラル水は、馴れるとけっこう病みつきになる。喉がねっとりしているときほどうまい。レモン風味やオレンジ風味のものもある。
カフェでは迷わずテラスに座る。カップルならもちろん並びの席で。ギャルソンがやってきたら、メニューを見ずに「ユナンフュージオン」とか「アン・ペリエ」と言おう。「シルブプレ」も添えて。そして出るときは、人差し指を立てて「お勘定」と言ってみること。これで万事スマートに通じる……と思う。ただし、何事も型にはまった流れに沿って進むと格好いいが、ひとつでもはずすとバツが悪くなる。人差し指をぴんと立てたはいいけど、ギャルソンが気づいてくれないと、指のやり場に困ってしまうだろう。
月刊誌、学習研究社/発行
1992年創刊
月刊誌、学習研究社/発行、1992年創刊
パソコン通信関係の雑誌としては古手だが、後にリニューアルされた。
パソコン通信サービス、とりわけNIFTY-Serveが一気に会員数を増やした時期に創刊された。技術解説だけでなく、ネットワークを生活に利用するノウハウの解説にも力を入れた誌面づくりをおこなっていた。パソコン通信の初期ユーザが雑誌制作にかかわり、担当の編集者やライターもパソコン通信利用者が多かった。
1990年代後半に入ると、通信の世界もインターネットが主役となることが明白になってきた。それに伴って誌面の中心もインターネットへと移行した。