「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1994年4月号掲載
江下雅之
一月のある日、いつものようにニフティへアクセスしたら、フランス人の知人からメールが届いていた。
「噂によると、インターネット経由でニフティにもメールが送れるようになったんだって? 試しに送ってみたから、もし受信できたら返事を頂戴ね」
パリからのメールがインターネットのドメインをあちこち経由して日本に届き、それをぼくはコンピュサーブ経由で読んだわけだ。このメール、いったいいくつの国境を越えたのだろう。
返事をくれとは書いてあったけれど、どうせお互いパリに住んでいるのだから、電話で伝えたほうがてっとりばやいと思った。さっそく彼の家に電話をしたが、生憎と留守だったので留守番電話にメッセージを残した。
「インターネットのメール、ちゃんと届いたよ」
円高のおかげで国際接続料金はかなり安くなった。それでもパリ市内での連絡に、わざわざアメリカ、日本のパソコン通信を使うのはいかにも不経済だった。
翌日ニフティにアクセスしたとき、ふたたび彼からメールが届いていた。前の日と同じ文面にコメントが一つ加わっていた。
「たのむ。日本経由のメールを受けてみたいんだ」
仕方がない。もう一度ニフティにアクセスして、今度はきちんと送ってやることにした。
白状すると、ぼくは WIDE Internetの実験プロジェクトしか知らなかった。日本国外のドメインにメールを送れるという事実は、彼からのメール受信ではじめて知った次第だ。あわてて「GO INTERNET」などでおくりかたを調べた。一フランス人の酔狂な好奇心を満足させるために、国際回線経由でニフティを何分も使うハメになってしまった。それはそれで楽しくもあるのだけれど……。
そのとき、ついでにいつも出入りしている《外国語フォーラム:FL》をのぞいたら、このフランスからのメールが話題にのぼっていた。
彼はフランスのパソコン通信 CalvaCom のアクティブ・メンバーだ。CavlaCom のフォーラム《Soleil Levant》はFLの七番会議室とメッセージ交換を行っている。彼はそのフォーラムの常連で、FLのフランス語会議室ではちょっとした有名人だった。
どうやら、彼ともう一人の《Soleil Levant》の常連フランス人が、FLのメンバーにメールを送りまくっているらしかった。電子会議室ではなかなかプライベートなはなしができなかったので、自由にメールを送れるようになったことが、よほど嬉しかったようだ。
フランスでも、研究者間の連絡はたいていインターネット(フランス風に発音すると『アンテルネット』)が利用されている。トップ・ドメインは INRIA という国立研究所だ。個人でもそこに申し込めば、アドレスをもらうことができる。CalvaCom はヨーロッパのBBSの中ではただひとつ、インターネットのドメインとなっているので、ここのメンバーは自動的にインターネットで電子メールを交換できる。
ところで、パリにはコンピュサーブのダイレクト・ノードが入っている。アメリカ国内と同じ料金でこの巨大ネットワークを利用できるのだ。
コンピュサーブからも当然インターネット経由で電子メールを送ることができる。日本語を使う必要がなければ、こっちの方が通信コストを節約できるのだ。
そのことに気がついてから、今度はコンピュサーブ経由で送ってみた。メールの内容はニフティから送ったものに加え、次の一文を加えておいた。
「ぼくはコンピュサーブのIDも持っているよ。さて、おまえさんはアメリカを選ぶ? それとも日本を選ぶ?」
翌日、今度はコンピュサーブの方だけ(!)に返事が届いた。
タイトル・ヘッダ「国の選択」、内容はただ一言「→アメリカ!」。
以来、彼からのメールはいつもコンピュサーブ側に届くようになった。
月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊
ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。