Degustation gratuite ![15]

「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1995年5月号掲載
江下雅之

 大理石の階段には、赤い絨毯がまんなかにしかれていた。雨で濡れたスウェードの靴で、左右をきょろきょろ眺めながらのぼる。複製とはおもえない大きな肖像画が、真正面にかまえていた。
 廊下がまっすぐ伸びている。ふかい絨毯に足がとられる。左手には窓越しに中庭がみえた。どうやら廊下は回廊の一部のようだった。
 案内板だどこにも見あたらない。先のほうに、執事のようなひとが古めかしい椅子にすわっていた。このひとが応接係なのだろうか。とりあえず尋ねてみた。
「あの、出生届はどこで出すんですか?」
「回廊ぞいに進んで、途中右にある部屋ですよ、ムッシュー」
 礼をいって示された方向に向かう。

 フランスで外国人の子供が産まれたとき、出生から48時間以内に届け出なければいけない。まずは病院で助産婦さんに出生証明書をつくってもらう。それ以外に、日本の戸籍謄本の法廷翻訳が必要だ。これは日本から取り寄せて、大使館などで作成してもらわなければいけない。すぐにはできあがらないので、事前に用意しておかなければならない。
 届け出は出生地の区役所でおこなう。ぼくの娘は16区の病院で誕生した。パリ市に20ある区のなかでも、とくに在仏日本人のおおい区でもある。家族連れが中心なので、パリ16区生まれの日本人はそれほどめずらしくはないのだ。
 この区には高級住宅地が集中しているせいもあってか、区役所が贅沢なつくりだった。ぼくの住む13区の庁舎は、日本ではありきたりの鉄筋のビルだ。16区役所は貴族の屋敷か古い公共施設を転用したらしく、まるで美術館のような建物のなかにある。ひろい門をくぐると、左手にちいさく案内所があった。そこもまるで観光インフォメーションのような雰囲気だ。

 出生届の窓口は、「etat civil」と示された一角にあった。窓口といっても、日本の役所のようなカウンターがあるわけではない。銀行もおなじなのだが、担当係ごとのおおきな机があり、そこに向かい合って交渉や手続きをおこなう。机のうえにはかならず端末が置いてあって、記入書類をその場で確認しながら入力するのだ。
 係員のひとりに「出生届にきた」と告げる。書類を手渡された。まずはそれに書き込め、というのだ。
 事務的な内容ばかりだったのだが、両親の関係の欄がやけにこまかかった。「合法的夫婦」「同棲」「私生児」「離婚夫婦」……。そういえば、滞在許可申請をしたとある日本人女性が、配偶者関係で独身とこたえたあと、子供の数を尋ねられてびっくりしたことがあるという。結婚前に一年ほど同棲するのが常識のフランスでは、配偶者の有無と子供の有無は独立した発想なのかもしれない。

 書類を書き上げ、担当係にわたす。彼女は子供の名前、両親の名前と住所などを、つぎつぎと端末から入力した。病院発行の出生証明書、戸籍謄本の法廷翻訳をざっと確認し、必要なことがらを抜き出してインプットした。ものの五分で作業は完了した。
 プリンタに出力した書類の確認を求められる。ミス・タイプはなかった。OKを出すと、おなじ書式の書類を二枚出力した。押し印、責任者のサインをして証明書のできあがりだ。
 窓口がこんでいるときは、対応が個別なだけにやたら待たされることになる。しかし、今回のようにすいていると、届け出から書類作成までがすべて一ヶ所ですんでしまう。たらい回しでも流れ作業のほうがいいのか、多少待っても個別対応のほうがいいのか?

 これでとりあえず我が子は出生を認知されたわけだが、日本国籍をすんなり取るためには、出生から二週間以内に大使館領事部へと届け出なければならない。外国語フォーラム・フランス語会議室には、出産立ち会い時の動転でうっかりこの届け出に遅れてしまったひとの話しが出ていた。かなりやっかいな事態になるそうだ。
 日本大使館にはつぎの週に手続きをおこなった。領事部の窓口――こんどはカウンター――で見本といっしょに書類を二様式わたされる。このとき、もうひとり別のひとがやはり出生届にきていた。なにやら担当官ともめている。聞き耳をたてると、どうやら名前のことで注意を受けていたようだ。
 べつに「悪魔ちゃん」事件のようなものではない。どうもフランス人風の名前をつけようとして、そのローマ字表記でもめていたらしかった。「Francois」はたしかに「フランソワ」や「富蘭曽和」とあてればいい。しかし、パスポートのローマ字表記は「Huransowa」になってしまう。
 これではたしかに「フランソワ」って雰囲気がない。しかし、もともと日本語のローマ字表記法はフランス語を伝える目的のものではないのだから、この場合は名前をつけるほうに無理があるようにも思う。結局このもめ事、申請者が「もういちど考えてみる」といって引き下がっていたが、名前をかえるつもりなのだろうか。
 さて、ぼくのほうの書類は窓口で問題なく受理された。ところが、受理はされたけど、まだまだ先が長いことを思い知らされた。届け出てから約二ヶ月ほどで日本の本籍地にこの出生が記録される。それを自分で確認したうえで、子供を記載した戸籍謄本をフランスまで送ってもらわなければならない。それから子供のパスポートを作成するのだが、できあがるのは7月頃だというまあ、なんとも悠長というか慎重なはなしだが、さっさと国際ネットワークですますわけにはいかんのかな、とぼやきたくなってしまう。


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Online Today Japan

月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊

ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。


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