「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1995年2月号掲載
江下雅之
フランスのパソコン通信大手CalvaCom の運営母体が、この夏に倒産してしまった。
もともとヨーロッパは通信事業自由化が日米よりも少し遅れ、いわゆる草の根BBS がきわめて少ない。TYMPAS でさえ、ぼくがパリに住み始めた二年前の時点で、まだ「実験サービス」という建て前だった。
運営母体が倒産したとはいえ、ネットの運営は別会社が行うことになった。その切り替えが七月にあり、八月からはサービスも一新されるとのことだった。
ニフティの FLRでは、CalvaCom のフォーラム(電子掲示板)のひとつ Soleil Levant とメッセージ交換を行っている。フランスでアップされたメッセージが、FLR の7番会議室に転送される。
もっとも、これは自動転送ではなく、FLR のサブシス、藤野満さんが手作業で行っていることだ。第一号メッセージが交換されたのは、88年11月3日、それから6
年以上にもわたり、三千以上のメッセージが日仏を往復している。
かつてタヒチからの発言もあった。最近では常連との交流も多く、去年、この SL が縁で日本に新婚旅行で訪れたカップルには、つい先日、子供が誕生したそうだ。
この六年におよぶメッセージ交換が、約三ヶ月にわたって中断した。ネットが Calva から Calva2 に移行してから、まったくアクセスができなくなったのだ。
藤野さんは国際 VAN 経由でアクセスしていたが、ID 入力さえできなくなったそうだ。ぼくのところも同じ症状が出る。ためしにミニテルで――フランスのおもな BBSはミニテル経由で可能――試みたものの、「ホストが接続可能な状態にない」というメッセージが表示されるだけだった。
問題は技術的なものらしい。専用ソフトを使えば問題ないとのことだが、そのソフトはマック版と WINDOWS 版しかないという。DOS ユーザーの藤野さんには解決にならなかった。
この状態がなんとか解決したのは、十月にはいってからだった。F1のヨーロッパGP決勝の日、ミニテルで MRS のリリースを眺めたあと、接続を切る前になんとなく CalvaCom にアクセスしてみた。
「どうせだめだろうけど……」
と思ったら、あっさりと接続ができた。これもマーフィーの法則だろうか。
日本から最後のメッセージが送られたのは8月3日だった。それから先は、まさに閑古鳥状態――約二ヶ月半のあいだに、十三のメッセージがあるだけだった。
ミニテル画面でメッセージの内容をざっと追ってみる。
「日本からのメッセージはどこだ!」
「いつまで待てばいいんだ……」
「誰かセップクしろっ!」
出てきた発言は、とにかく日本からの反応がないことへのいらだち、そして悲しみだった。しかし、彼らがこれほど楽しみにしていたことがわかったのは、なんとなくうれしかったのも事実だ。
結局、FLR とのメッセージ交換は、ぼくのところに 専用ソフトが届くまで再開できなかった。
ブランクのあいだ、常連は Calva自体を去ってしまったようだった。こんどは日本側からの一方通行の状態が続いた。メッセージを転送しても、反応がほとんど返ってこない。参照数を見ても、アクセスがまったくないのがわかった。
が、十一月に入ってから、ようやくあたらしいフランス人メンバーが、コメントをつけてくれるようになった。その間、日本側のメンバーが、百人一首をフランス語訳してみたり、ベトナム料理の話題を出したりと、地道な発言を継続していた。
よく、パーティーなんかで「誰も声をかけてくれない」とぼやくひとがいる。しかし、そういうひとほどえてして自分からは声をかけないものだ。
コミュニケーションをはかろうと思ったら、むこうからやってくるのを待つのではなく、こちら側からはたらきかけることが大事だと思う。そんな素朴な事実を納得させてくれる結果だった。
月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊
ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。