「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1995年3月号掲載
江下雅之
パリで迎える新年も四回目になった。
フランスで年がかわるのは、日本よりも八時間あとだ。ぼくはたいてい、日本の年越しの瞬間をニフティの RTCで迎え、それから年越しそばを食い、あらためて年が明けるのを待つ。こうしてカウント・ダウンの気分を二度味わうのだ。
が、今回は RTCに参加できなかった。
二年越しの大掃除の合間に、ニフティにアクセスはした。しかし、サービスが混雑していたため、どの RTCにもはいれなかった。あとできいたら、ぼくの「幽霊」だけは参加していたそうで、呼べど叫べど応答がなかった、といわれてしまった。
大掃除をひと段落させ、年越しそばを食う。一昨年から福井風に切り替えた。これはおととし夏の一時帰国の際、FBOOK シスオペの水城さんにご馳走になったものだ。浅い皿に麺をしき、ネギと削り節をのせる。そして大根おろしたっぷりのそばつゆを豪快にかけて食べる。
これがほんとうにうまい。いちど経験してからやみつきになった。
大根は近くの中華街で買ってくる。ちと甘口なのは仕方ないとあきらめる。麺と削り節は、日本食品店で買ってくるしかない。が、今回はカミさんの実家からタイミングよく送られてきた。
新年までのこり二時間、大掃除はどうやら年越しとなりそうだった。ちょっと休憩してテレビをつける。
フランスの年末恒例番組は、キャバレー・クレイジーホースのライブ中継だ。ヌード・ショー、インタビュー、稽古風景のルポなどを放送する。これがナカナカの迫力で、毎年ほとんど同じパターンなのだけど、ついつい観てしまう。
放送の途中に年がかわる。
ヨーロッパだとその瞬間はおおさわぎで、誰とでもキスし放題だといわれている。たしかにそうなのだが、うちのまわりはわりと落ちついた住宅街なので、あてがはずれる(?)静けさだ。
道を走るすこしばかりの車は、0時の瞬間、一斉にクラクションを鳴らす。アパルトマンからは何人かが窓を開け、外に向かって「Bonne Annee!!(よいお年を!)」と絶叫する。
翌日遊びにきた友人たちは、エッフェル塔の近く、トロカデロ広場で新年を迎えたそうだ。
すごい人出だったらしい。いよいよというとき、みんな袋からシャンパンを取り出し、栓をあける準備を始めたそうだ。残り十秒ぐらいからカウント・ダウン、ゼロになった瞬間、一斉に栓をあける。頭のうえからはシャンペン・シャワー、足下はあちこちから飛んでくる爆竹で、楽しいというより怖かったそうだ。
シャンゼリゼ通りはもっとすごかったらしい。通りは自然の歩行者天国状態で、数十万人の人出があったとか。
シャンゼリゼやトロカデロで新年を迎えるひとは、外国人が多いらしい。ドイツからは何十台という単位で観光バスが乗り付けたそうだ。大晦日の報道番組でも、パリに大挙しておしかけるイタリア人観光客の特集をやっていた。年末年始になると、高級ホテルのまえには、ふだんはあまり見かけないフェラーリがずらりと並ぶ。
今年の元旦は日曜と重なった。
ヨーロッパでは、正月休みという習慣はない。二日の月曜から平常業務にもどる。個人で休暇をとるひとも多いが、スーパーもパン屋さんも、ごく普通に営業している。日本料理店は年末29日から新年 2日まで休み、というところも多いが。
元旦翌日の朝、空き瓶専用ゴミ箱である緑色のボックスは飽和状態になっていた。なかに入りきれなかったワインやシャンパンの空き瓶が、百本以上もまわりにころがっていた。
新年の余韻といえばそれくらいのもので、あとはみんな寝不足のまま仕事に向かうのだった。
月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊
ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。