「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1995年11月号掲載
江下雅之
東京で連続真夏日の記録がストップしたころ、パリではすでに「秋深し」だった。裏の通りは紅葉が始まり、本誌が発売されるころは真っ盛りだろう。
もともとパリの夏は、「7月14日の革命記念日に始まり、8月15日の昇天祭で終わる」といわれている。これはバカンス・シーズンに関連していることなのだが、気候の方も昇天祭を過ぎるころから、急速に涼しくなる。春の到来と同様、秋のおとずれも劇的だ。今年は8月28日から秋になった。
しかし、街のようすは「熱い」。
爆弾テロが相変わらずだ。地下鉄サン・ミッシェル駅の事件は、日本で報道された通りだ。その後、凱旋門近くでも発生した。このときは警察が捜査のために、日本人やアメリカ人観光客に、ビデオの提供を求めていた。
じつは凱旋門での爆破騒ぎ、もしかしていたら巻き込まれていたかもしれなかった。危うく難を逃れた、というほどきわどいものではないが。
とある雑誌に連載している原稿には、いつもパリのどこかしらの写真を添えることになっていた。このときはパリ市の全景について触れた内容だったので、凱旋門からシャンゼリゼの眺めを撮ろうと思ったのだ。光線の加減から、午後の遅い時間でないといいアングルがとれない。そして5時ごろ出かけるつもりだったのだが、ついつい「明日にすっかぁ」と出不精を決め込んでしまったのだ。
二時間ほどあと、ニフティサーブにつないでみたら、会議室で「凱旋門で爆破事件があった」という発言を見つけた。
地元パリの事件を日本にいるひとの書き込みで知るというのも、いささか間の抜けた話だ。とはいえ、ぼくには二年前にも「前科」がある。ベレゴボア元首相の自殺を、日本からその日到着した旅行者に教えてもらったのだ。元首相の遺体は、我が家から徒歩5分のところにある病院に安置されていたのだが。
話はすこしそれたが、このとき予定通り出かけていたら、おそらく爆破の現場に居合わせたと思う。
その後、高級住宅地の15区でもまた爆弾が仕掛けられた。地下鉄はサン・ミッシェル爆破事件以来、乗客数が平均で7パーセント減っているそうだ。ぼくもバスを利用するようにしている。
ところが、最近はそのバスの循環も悪い。あちこちで渋滞している。そこいらじゅうでデモをやっているからだ。核実験反対に抗議するものである。
日本人にはあまりにも唐突な核実験再開宣言は、フランスの印象をえらく悪くしているようだ。在仏日本人としては、いささか困惑しないでもないが、個人的には核実験の是非よりも、フランス世論の動向に興味がある。
フランス人といっても多様であるが、いくつか共通する傾向があるのもたしかだ。その最たるものが、強烈な愛国心だろう。日頃政府に批判的な人でも、国際世論の袋叩きにあうと、逆にわれわれのような外国人に対して、国の弁護を必死にすることがままある。
考えてみれば、バラデュール前首相が一躍国民の人気を高めたのは、ガット・ウルグライ・ラウンドのときだった。日本の新聞を読むと、まるで日本だけが孤立しているかのような雰囲気があった。しかしむしろ、最後まで頑なな抵抗を示していたのはフランスだった。これでバラデュールは国内的な評価を高めたのだ。
おおくのフランス人は、政治家が自国の利益の主張するのは当然であり、それを通す政治家を評価する。そして現大統領のシラクはばりばりのド・ゴール主義者であり、ド・ゴール主義を支える政策が食料自給と核武装だった。
国際世論で孤立を深めるシラク政権を、フランス国民はどのように評価していくのだろう。なんにしても、今年はあわただしく、そして「熱い」夏であった。
月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊
ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。