「月刊Online Today Japan」(ニフティ発行)1995年3月号掲載
江下雅之
「これでシラクは当分『悪役』にされるだろうな」
と思った。フランスのミッテラン前大統領死去のニュースを目にしたときのことだ。この原稿を執筆中、FLR フランス語会議室で、パリ在住のメンバーからミッテラン死去の速報が伝えられた。
そもそも14年間も権力の頂点に立っていたこと自体が驚きだ。最近のニッポンの首相などは、就任期間を日数でいいあらわすくらいなのだから。
絶大な権限を持つフランスの大統領を二期つとめたミッテランは、パリ市内や郊外に、新凱旋門やルーブルのガラスのピラミッド建設など、大規模な都市開発プロジェクトを次々と推進させた。太陽王ルイ14世やナポレオン一世の「直系」とまでいわれることがある。
もっとも、政権末期は保守派が政治の主導権を握り、昨年のナポリ・サミットのときは、マスコミから「バラデュール首相はミッテランを自分の代理としてナポリに派遣した」と皮肉られた。フランスの場合、首相は大統領が任命するものなのだが。
ぼく個人の抱く印象は、「演説のやたらむずかしい政治家」というものだ。
シラク現大統領は、よく通る声、はっきりとした緩急、そしてわかりやすいことば使いなどのため、とても聞きとりやすく、説得力のある演説をする。現首相ジュペは早口であはあるが、一語一語がはっきりして、これまたわかりやすい。
そしてミッテランの演説は、抽象的なことばをさまざまに配し、凝った文体を使い、内容は哲学的で、政治家の演説というよりも、文学教授の講演のような高尚な趣があった。ぼく程度の語学力では、全身を耳にしても聞き取れないことが少なくなかった。
印象に残った「語録」がふたつある。
「私の趣味ではないが、雇用創出が期待されることは好ましい」
これはユーロディズニー開業のときのものだ。フランス人インテリの例にもれず、文人政治家ミッテランは、当然ディズニー嫌いだったろう。しかし、わざわざ誘致しておきながら、よくまあはっきりというものだ、と思った。
「娘がおります。で、それがなにか?」
記者会見で隠し子の存在を指摘されたとき、ミッテランはこう応えた。最後の「それがなにか?(Et alors?)」ということばは、フランス人一般がよく口にする。
こちらがなにか熱弁する。これはすごい、大事件だと力説する。そういうとき、決まって連中は、
「Et alors?」
といってさめた顔をする。それがわざとなのだから可愛げがない。ミッテランは息巻く記者相手にこれをやったわけだ。
95年は世界中がフランスの核実験再開を非難した。通信社APの選ぶ「世界の10大ニュース」では、オウム事件や阪神大震災を上回る順位に位置された。そしてフランスの核実験は、92年にミッテランが中止を決定したものだ。
ミッテランの功績を語るとき、かならずこれが称えられるだろう。同時に、
「しかし、シラクが再開した」
とも語られるだろう。
そのシラクは、95年末に発生した長期ストの際に、「長年付け焼き刃の政策を取ってきた矛盾に根本的な対処をする」という演説をおこなった。ミッテランのやってきたことに対し、まっこうからメスを入れようとしているわけだ。
いまのシラクはミッテランの引き立て役だ。しかし、「いま」が歴史として語られる50年後には、このふたりはどう評価されているのだろう。ぼくは親日派シラクに関心があっただけに、ミッテランの死においても、その対立極の位置づけが気になってしまう。
月刊誌、ニフティ/発行、1987年創刊
ニフティ社の広報誌として創刊されたが、後に数回リニューアルを行い、この誌名の雑誌は現在存在しない。
有料の月刊誌であったが、NIFTY-Serve会員には無料で送付されていたので、ピーク時の発行部数は100万部を越えていたはず。ページ数は少なかったが、すがやみつる、武井一巳といった、この分野の先駆者による連載が創刊当初から掲載されており、記事はかなり充実していた。
その後、全会員への発送をやめて部数が落ち、リニューアルによってNIFTY-Serveのナビゲーション誌への転身をはかった。また、通信ネットワークの主役がパソコン通信からインターネットへ移行したのにともない、さらにインターネットを中心とした誌面に衣替えしている。